2018年5月12日土曜日
孔子伝 最終章 前編
『壮年期 陽虎討伐まで』
季孫意如が亡くなるとその家老職の陽虎という人物が公山不狃(こうざんふじゅう)と仲梁懐(ちゅうりょうかい)という家老仲間と謀反を企て魯の国内を乱しはじめます。そこで、少正卯が国王に進言し、今の国情では陽虎達を倒すことはできないので、各国から掃討軍を募り対抗させてみてはどうかと提案し受け入れられます。計6国の軍隊が魯の国に駐留し陽虎の軍を追い払うことに成功しますが、今度は6国の軍隊が魯の国の治安を脅かすことになり、国内は更に治安が悪化します。どうにもいかなくなった少正卯は孔丘を長官にし、問題に対処させてみてはどうかという提案をし、孔丘は弟子たちと相談し、論じてばかりでは本当の大道を得られないのではといわれ、魯の国の長官になることを決意しました。その後孔丘は、まず6国の軍の筆頭である斉の国に使者として、弟子の子貢を遣わせ、まずは門番や家老に賄賂を渡していき、てなずけます。情報を引き出したあと、次に斉国の王妃に近づき斉の国王(景公)が魯にいるのは呉の国の女を欲していて、呉の国のものと仲良くするためである。ということをそれとなく伝え、王妃は美貌で名高くプライドが高いため、本気にしてしまい、景公にそんなことをするなら自殺するといいます。景公も王妃の事を何よりも愛していたため、これを聞かざるをありませんでした。そして、6国の軍は撤退したのです。その後、孔丘は内政を充実するため、町ごとに年寄りを3人集め、そのものを中心に困り事を解決させるようにし、寄り合いをつくります。そして、年貢を引き下げ、民に農耕用の牛を送ったりして農耕改革をし、また子路に命じて兵を組織させたりと職務を次々にこなしていきました。
しかし、そんな状況を面白くないと思った少正卯は、孔丘は魯の国の実権を握ろうとしていると讒言し、三桓氏を言葉巧みに操り、孔丘と陽虎達を戦わせ、孔丘が負ければ背後から襲い亡きものにしようと画策します。そして、孔丘は陽虎の軍と戦うことになります。孔丘も負ければ自分が味方に殺される事を承知で決死の戦いを挑みました。数では1/10程しかなく、圧倒的に不利な孔丘軍でしたが、弟子の子路に訓練させた兵は精強であり、陽虎の軍では孔丘の善政に心引かれ脱走兵が相次ぎ、士気は低かったのが原因で、孔丘軍の勝利で終わります。
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