今回はサピエンス全史の下巻を読んだ感想を記述していきます。
『科学革命』
近代の文化はまだ知られていない重要な事柄が多数あることを認め、そのような無知の自認が科学の発見は私たちに新しい力を、与えうるという考え方と結び付いたとき、真の進化は可能なのではないかと人々は思い始めた。
科学者は帝国主義の事業に実用的な知識やイデオロギー面での正当性、テクノロジー上の道具を与えてきた。こういった貢献がなければ、ヨーロッパ人が世界を征服できたかどうかははなはだ疑問だ。征服者は情報と保護を与え、あらゆる奇妙なプロジェクトや、魅力的なプロジェクトを支援し、地球の隅々まで科学的な考え方を広めて科学者に報いた。
帝国を建設するにも科学を推進するにも絶対必要なものがお金だ。経済が近代史において果たした真の役割を把握するのは容易ではない。お金によって数々の国家が建設され、滅ぼされた。新たな地平が開け、無数の人々が奴隷と化した。歴史の大半を通して、経済の規模はほぼ同じままだった。確かに世界全体の生産量は増えたものの、大部分はが人口の増加と新たな土地の開拓によるもので、一人当りの生産量はほとんど変化しなかった。ところが近代にはいると状況は一変する。西暦 1500年の世界全体の財とサービスの総生産量は、およそ2500億ドル相当だったが、今では60兆ドル当たりで推移している。さらに1500年には一人当りの年間生産量が、550ドルだったが、今日では老若男女を、すべて含めて平均8800ドルに上る。
じつは産業革命は、エネルギー変換における革命だった。この革命は、私たちが使えるエネルギーに限界がないことを、再三立証してきた。あるいは、もっと正確にいうならば、唯一の限界は私たちの無知によって定められることを、立証してきた。私たちは数十年ごとに新しいエネルギー源を発見するので、私たちが使えるエネルギー総量は増える一方なのだ。
ほとんどの人が自分がいかに平和な時代に生きているかを、実感していない。2002年5700 万の死亡者のうち戦争での死亡者17万人。暴力犯罪の死亡者56万人でこれに対して自殺者は87万人。9.11テロのあった翌年のテロリズムが盛んにあった頃でもこの数値である。権力が分散されていた中世ヨーロッパでは人口10万人当り毎年20~40人が殺害されていた。現代の中央集権化されたヨーロッパでは、人口10万人に辺り1人だ。王国や帝国が力を増すにつれて暴力の水準は低下した。
今、科学は脳をコンピューターと繋ごうとしたり、コンピューターの内部に心を生み出そうとしたりしている。完全な非有機的な存在を作り出そうとしている。なぜそんなことをするのかと科学者に聞いてみるといい。すると科学者は十中八九人命を救うためだというだろう。それに異論を挟める人はいない。その社会が実現したとき、未来を想像することを苦手とする人類はうまく立ち回れるだろうか。唯一私たちに試みられるのは、科学が進もうとしている方向に影響を与えることだ。ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は私たちは何になりたいかではなく私たちは何を望みたいかかもしれない。