孫子の兵法1を動画化しました。
https://youtu.be/9rP8ifPIIE0
是非ご覧ください。
2020年1月17日金曜日
2020年1月15日水曜日
孫子の兵法2
前回に引き続き今回も孫子の兵法を解説していきたいと思います。四章 形篇、五章 勢篇、六章 虚実篇を書いていきたいと思います。
『四章 形篇』
孫子曰く、戦闘に勝利を収めたのち、天下中の人々が立派だと誉め称えるようでは、優れたものとは言えない。我々兵法家の間ですぐれていると称されるものは、容易に勝てる体勢の敵に勝つものである。それだから優れた者が戦う場合には、世間を驚かせるような奇抜な勝利もなく、智将だとの名声もなく、勇敢な武功もない。したがって彼の勝利にはいささかの危なげもない。何ら危なげがないわけは、あらかじめ勝利を設定した状況が、態勢として、敗れている敵に勝つようになっているからである。
巧みに戦うものは、決して敗れる恐れのない態勢に身をおいて、敵が敗れ去る機会を逸しない。つまり、勝利する軍は勝利を確定してから、予定通り実現しようと戦闘するが、敗北する軍は、まず戦闘を開始してから、そのあとで勝利を追い求めます。
こうした勝ち方は、そのような態勢で戦えば、誰でも勝つのが当たり前だと見なされ、世間の評価は得られないものです。世間の人々がもてはやすのは、土壇場での奇策による大逆転や、優先奮闘でもぎとった勝利です。ですがそれは、劇的なぶんだけ、実は際どい辛勝であったとしなければならないと孫子はいっています。そうした賭博に等しい戦闘を排斥し、戦闘をより確実性のあるものにして当然のごとく勝てと孫子は主張しています。
『五章 勢篇』
孫子曰く、水が激しく流れて石をも漂わさせるまでに至るのが、勢いである。だから巧みに戦うものは、その戦闘に突入する勢いが限度いっぱい蓄積されて険しく、その蓄積した力を放出する節は一瞬の間である。勢いを蓄えるのは弓の弦をいっぱいに張るようなものであり、節は瞬間的に引き金を引くようなものである。
勢は、蓄積と発射の二段階より構成されます。前者は限界までエネルギーを蓄積する作業です。蓄積したエネルギーの大小によって発射後の勢の強弱が決定します。また、後者は蓄えたエネルギーを瞬時に発射し、静的エネルギーを動的パワーに転換する作業です。発射に要する時間が短いほど、目標物への衝撃力は強大となります。つまり、エネルギーの蓄積量が大きく、それが短期間のうちに発射されたとき、破壊力はもっとも強大となります。こうした見方をすれば、戦場への兵力の逐次投入は、わざわざ破壊力を弱めて小出しにするもので、孫子の説く勢の理論に反するものになります。身近な例で言えば、仕事や学習などの短期集中のやり方がこれに当たるかもしれませんね。より集中力を持って短時間で行えば、効率は最大化されるというようなものかもしれません。
『六章 虚実篇』
孫子曰く、巧みに軍を率いるものは、敵軍には態勢を露にさせておきながら、自軍の側は態勢を隠したままにする。自軍は敵軍の配置が判明しているから、不安なく兵力を集中するが、敵軍は自軍の配置が不明なため、すべての可能性に備えようとして、兵力を分散する。自軍は全兵力で一つの部隊となり、敵は十の部隊になれば、それは、敵の十倍の兵力で見方の十分の一の敵を攻撃することを意味する。つまり、寡兵で大軍を撃破できるのである。
ここで孫子は、総兵力で優勢な敵に対し、敵の兵力を分断することで相対的有利を作り出し、敵を打ち破ることが可能だと言っています。この戦術は、かなりの高等技術が必要となりますが、成功したときの威力は絶大だと言えます。そして、この戦術をとるためには以下の三つのことが必要になります。
・第一に自分達の部隊は自分達の土地を守ることを放棄します。戦力の劣勢により、守備に人手をさく余裕がないからです。そして、部隊を一つにまとめます。
・第二に自分達の戦略を偽装して、敵に悟られないようにすることです。偽の情報を流したり、自軍の部隊を隠したりして、敵を油断させ、敵の兵力集中を阻止します。
・第三に急速な兵力集中による奇襲の実現です。敵の各個撃破が目的であるので、敵の終結よりも速く次々に撃破するための進軍スピードが必要です。
以上の三点が確保されたとき、総兵力では優勢な敵を劣勢な兵力で圧倒出来ます。その結果として、いったんは放棄した土地の防衛も自ずと実現できるのです。つまり、至るところを守備せんとする歩哨線方式の防御戦法は、戦力はおろか結局は土地すらも守りきれぬ愚策であると孫子は言っているのです。
これを実際に行った人物として、日本の織田信長があげられます。有名な桶狭間にて、今川義元を討ったあの戦いは、孫子の兵法に準ずるものではないでしょうか。このブログでも過去に桶狭間の戦いを記事にしてますので、興味のあるか方は是非一度読んでみてください。
桶狭間の戦い 背景
http://bishamondou.blogspot.com/2019/10/blog-post.html?m=1
以上で今回の記事は終わりです。いかがだったでしょうか?今回は孫子の兵法の濃い内容に入ったので、少し難しく感じた方もいらっしゃったかも知れませんが、含蓄の深い章だったことと思います。次回は第七章 軍争篇です。こちらも興味深い内容となっています。是非ご覧ください。
『四章 形篇』
孫子曰く、戦闘に勝利を収めたのち、天下中の人々が立派だと誉め称えるようでは、優れたものとは言えない。我々兵法家の間ですぐれていると称されるものは、容易に勝てる体勢の敵に勝つものである。それだから優れた者が戦う場合には、世間を驚かせるような奇抜な勝利もなく、智将だとの名声もなく、勇敢な武功もない。したがって彼の勝利にはいささかの危なげもない。何ら危なげがないわけは、あらかじめ勝利を設定した状況が、態勢として、敗れている敵に勝つようになっているからである。
巧みに戦うものは、決して敗れる恐れのない態勢に身をおいて、敵が敗れ去る機会を逸しない。つまり、勝利する軍は勝利を確定してから、予定通り実現しようと戦闘するが、敗北する軍は、まず戦闘を開始してから、そのあとで勝利を追い求めます。
こうした勝ち方は、そのような態勢で戦えば、誰でも勝つのが当たり前だと見なされ、世間の評価は得られないものです。世間の人々がもてはやすのは、土壇場での奇策による大逆転や、優先奮闘でもぎとった勝利です。ですがそれは、劇的なぶんだけ、実は際どい辛勝であったとしなければならないと孫子はいっています。そうした賭博に等しい戦闘を排斥し、戦闘をより確実性のあるものにして当然のごとく勝てと孫子は主張しています。
『五章 勢篇』
孫子曰く、水が激しく流れて石をも漂わさせるまでに至るのが、勢いである。だから巧みに戦うものは、その戦闘に突入する勢いが限度いっぱい蓄積されて険しく、その蓄積した力を放出する節は一瞬の間である。勢いを蓄えるのは弓の弦をいっぱいに張るようなものであり、節は瞬間的に引き金を引くようなものである。
勢は、蓄積と発射の二段階より構成されます。前者は限界までエネルギーを蓄積する作業です。蓄積したエネルギーの大小によって発射後の勢の強弱が決定します。また、後者は蓄えたエネルギーを瞬時に発射し、静的エネルギーを動的パワーに転換する作業です。発射に要する時間が短いほど、目標物への衝撃力は強大となります。つまり、エネルギーの蓄積量が大きく、それが短期間のうちに発射されたとき、破壊力はもっとも強大となります。こうした見方をすれば、戦場への兵力の逐次投入は、わざわざ破壊力を弱めて小出しにするもので、孫子の説く勢の理論に反するものになります。身近な例で言えば、仕事や学習などの短期集中のやり方がこれに当たるかもしれませんね。より集中力を持って短時間で行えば、効率は最大化されるというようなものかもしれません。
『六章 虚実篇』
孫子曰く、巧みに軍を率いるものは、敵軍には態勢を露にさせておきながら、自軍の側は態勢を隠したままにする。自軍は敵軍の配置が判明しているから、不安なく兵力を集中するが、敵軍は自軍の配置が不明なため、すべての可能性に備えようとして、兵力を分散する。自軍は全兵力で一つの部隊となり、敵は十の部隊になれば、それは、敵の十倍の兵力で見方の十分の一の敵を攻撃することを意味する。つまり、寡兵で大軍を撃破できるのである。
ここで孫子は、総兵力で優勢な敵に対し、敵の兵力を分断することで相対的有利を作り出し、敵を打ち破ることが可能だと言っています。この戦術は、かなりの高等技術が必要となりますが、成功したときの威力は絶大だと言えます。そして、この戦術をとるためには以下の三つのことが必要になります。
・第一に自分達の部隊は自分達の土地を守ることを放棄します。戦力の劣勢により、守備に人手をさく余裕がないからです。そして、部隊を一つにまとめます。
・第二に自分達の戦略を偽装して、敵に悟られないようにすることです。偽の情報を流したり、自軍の部隊を隠したりして、敵を油断させ、敵の兵力集中を阻止します。
・第三に急速な兵力集中による奇襲の実現です。敵の各個撃破が目的であるので、敵の終結よりも速く次々に撃破するための進軍スピードが必要です。
以上の三点が確保されたとき、総兵力では優勢な敵を劣勢な兵力で圧倒出来ます。その結果として、いったんは放棄した土地の防衛も自ずと実現できるのです。つまり、至るところを守備せんとする歩哨線方式の防御戦法は、戦力はおろか結局は土地すらも守りきれぬ愚策であると孫子は言っているのです。
これを実際に行った人物として、日本の織田信長があげられます。有名な桶狭間にて、今川義元を討ったあの戦いは、孫子の兵法に準ずるものではないでしょうか。このブログでも過去に桶狭間の戦いを記事にしてますので、興味のあるか方は是非一度読んでみてください。
桶狭間の戦い 背景
http://bishamondou.blogspot.com/2019/10/blog-post.html?m=1
以上で今回の記事は終わりです。いかがだったでしょうか?今回は孫子の兵法の濃い内容に入ったので、少し難しく感じた方もいらっしゃったかも知れませんが、含蓄の深い章だったことと思います。次回は第七章 軍争篇です。こちらも興味深い内容となっています。是非ご覧ください。
2020年1月9日木曜日
孫子の兵法 1
孫子の兵法は、全部で13章まで記されている書物で、竹簡という当時の紙の代わりのものにかかれています。13章を以下に記します。
一章 計篇
二章 作戦篇
三章 謀攻篇
四章 形篇
五章 勢篇
六章 虚実篇
七章 軍争篇
八章 九変篇
九章 行軍篇
十章 地形篇
十一章 九地篇
十二章 用間篇
十三章 火攻篇
このようになっており、書かれている内容は濃いものの非常に短くまとめられています。今回から少しずつ一章から順番に、ためになる部分だけを抜粋して記していきたいと思います。
『一章 計篇』
軍事とは、国家の命運を決する重大事である。国家の存亡に関わる進路の決定には以下の五つの基本事項に自国と相手国を当てはめて、比較することが重要になる。
一 内政の正しい在り方。民衆の意思を統治者に同化させること。
二 気候状態のこと。日陰と日向、気温の低い高い。
三 地理的なこと。地形の高い低い。国土や戦場の広い狭い。
四 指揮する将軍の能力。
五 軍法。賞罰がきちっと執り行われているか。
戦争は、数多くの事象が複雑に絡み合う複雑極まる事象である。よって、偶然に左右される側面も当然付きまとうが、大局的に観れば総合力で優勢な方が最後に勝利をつかむ。冷静に計略を進めるならば、両軍の敗死と生存とを分ける進路が何であるかが、鮮明に浮かび上がってくる。そこで、確実な勝算が得られた場合にのみ開戦に踏み切り、あらかじめ策定した戦略に従って、予定された勝利を実現するのである。勝算がたたない場合は、勝利の条件が整うまで戦争を回避する方向に努めなければならない。これこそが、戦争を指導する者の何よりも重大な義務である。
この項は太平洋戦争時の日本に言ってやりたくなる言葉ですね。大国アメリカと戦って勝つ算段が本当にあったのか甚だ疑問であります。まあ、当時の日本の立場もあったとは思いますが。
『二章 作戦篇』
一挙に勝敗を決する戦争携帯を想定したとき、周到な用意と莫大な経費が必要となる。従って、空しく日時を費やす野戦での長期持久戦や多大な犠牲を強いる攻城戦、あるいは徒労の長期出兵などは国家経済を破綻させる下策として、非難する。この道理が理解できないものが将になれば国家は経済的に破滅する。よってそのような者は将として失格である。
この項は大日本帝国の大東亜共栄圏が如何に補給路が延びきったものであったかを連想させます。
『三章 謀攻篇』
およそ軍事力を運用する原則としては、敵国を保全したまま勝利するのが最上の策であり、敵国を撃破して勝つのは次善の策である。つまり、敵の軍団を保全したまま勝利するのが最上の策であり、敵の軍団を撃破して勝つのは次善の策であるということだ。したがって、百度戦って百度勝利を収めるのは、最善の策ではない。実際に戦闘させずに敵の軍事力を屈服させることこそが最善の策である。
戦争とは、あくまで自国の利益を他国と争い、そのために戦うことであって、戦闘によって軍事的勝利を争うのは、その一つの形に過ぎない。敵国の意図を挫く点にこそ戦争の本質があることを深く認識すれば、戦わずにして勝つことを強調する孫子の言葉が、戦争の真理をついているということにならないだろうか。
以上で今回の記事は終わりです。いかがだったでしょうか?計篇や作戦篇や謀攻篇は現代でも応用すれば色々なところで使えそうですよね。例えば、計篇や謀攻篇はライバルとの出世争いに、作戦篇は家計の使い方などにうってつけではないでしょうか?
次回は形篇からです。こちらも現代に活用出来そうな有益なことが書いてありますので、是非ご覧ください。
一章 計篇
二章 作戦篇
三章 謀攻篇
四章 形篇
五章 勢篇
六章 虚実篇
七章 軍争篇
八章 九変篇
九章 行軍篇
十章 地形篇
十一章 九地篇
十二章 用間篇
十三章 火攻篇
このようになっており、書かれている内容は濃いものの非常に短くまとめられています。今回から少しずつ一章から順番に、ためになる部分だけを抜粋して記していきたいと思います。
『一章 計篇』
軍事とは、国家の命運を決する重大事である。国家の存亡に関わる進路の決定には以下の五つの基本事項に自国と相手国を当てはめて、比較することが重要になる。
一 内政の正しい在り方。民衆の意思を統治者に同化させること。
二 気候状態のこと。日陰と日向、気温の低い高い。
三 地理的なこと。地形の高い低い。国土や戦場の広い狭い。
四 指揮する将軍の能力。
五 軍法。賞罰がきちっと執り行われているか。
戦争は、数多くの事象が複雑に絡み合う複雑極まる事象である。よって、偶然に左右される側面も当然付きまとうが、大局的に観れば総合力で優勢な方が最後に勝利をつかむ。冷静に計略を進めるならば、両軍の敗死と生存とを分ける進路が何であるかが、鮮明に浮かび上がってくる。そこで、確実な勝算が得られた場合にのみ開戦に踏み切り、あらかじめ策定した戦略に従って、予定された勝利を実現するのである。勝算がたたない場合は、勝利の条件が整うまで戦争を回避する方向に努めなければならない。これこそが、戦争を指導する者の何よりも重大な義務である。
この項は太平洋戦争時の日本に言ってやりたくなる言葉ですね。大国アメリカと戦って勝つ算段が本当にあったのか甚だ疑問であります。まあ、当時の日本の立場もあったとは思いますが。
『二章 作戦篇』
一挙に勝敗を決する戦争携帯を想定したとき、周到な用意と莫大な経費が必要となる。従って、空しく日時を費やす野戦での長期持久戦や多大な犠牲を強いる攻城戦、あるいは徒労の長期出兵などは国家経済を破綻させる下策として、非難する。この道理が理解できないものが将になれば国家は経済的に破滅する。よってそのような者は将として失格である。
この項は大日本帝国の大東亜共栄圏が如何に補給路が延びきったものであったかを連想させます。
『三章 謀攻篇』
およそ軍事力を運用する原則としては、敵国を保全したまま勝利するのが最上の策であり、敵国を撃破して勝つのは次善の策である。つまり、敵の軍団を保全したまま勝利するのが最上の策であり、敵の軍団を撃破して勝つのは次善の策であるということだ。したがって、百度戦って百度勝利を収めるのは、最善の策ではない。実際に戦闘させずに敵の軍事力を屈服させることこそが最善の策である。
戦争とは、あくまで自国の利益を他国と争い、そのために戦うことであって、戦闘によって軍事的勝利を争うのは、その一つの形に過ぎない。敵国の意図を挫く点にこそ戦争の本質があることを深く認識すれば、戦わずにして勝つことを強調する孫子の言葉が、戦争の真理をついているということにならないだろうか。
以上で今回の記事は終わりです。いかがだったでしょうか?計篇や作戦篇や謀攻篇は現代でも応用すれば色々なところで使えそうですよね。例えば、計篇や謀攻篇はライバルとの出世争いに、作戦篇は家計の使い方などにうってつけではないでしょうか?
次回は形篇からです。こちらも現代に活用出来そうな有益なことが書いてありますので、是非ご覧ください。
2020年1月8日水曜日
『孫氏の兵法 序章』の動画化
『孫氏の兵法 序章』を動画化しました。下記にアドレス添付しました。ぜひご覧ください。今回は顔出ししました。慣れないので聞き苦しいところもあるかもしれませんが、文章ではわかりづらい部分もあると思いますので、ご覧ください。
▼YOU TUBE アドレス
https://youtu.be/tbllg5JijMk
2020年1月5日日曜日
孫子の兵法がなぜ今必要なのか?
最近書店でまた孫子の兵法に関する本をみるようになってきました。よく、自己啓発本やビジネス書の欄に並んでいたり、中には漫画になっているものもあります。しかし、よくよく考えてみると孫子の兵法が著されたとされるのは今からおよそ2500年前です。そんな昔の本がAIや5G時代に突入すると言われている昨今で必要なのか?と疑問に思う方が大半ではないでしょうか。
私としては、孫子の兵法を読むことは非常に意味のあることだと思います。その理由は孫子の兵法は、過去に時代を越えて読み返されてきた歴史があるからです。有名なものとして例をあげると、戦国時代にあの武田信玄が旗印として掲げていた「風林火山」です。
武田信玄wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/
「風林火山」は孫子の兵法の一説に記されています。日本の戦国時代は1400年代後半から1600年の間ですが、そのときすでに2000年の年月がたっているにも関わらず、一軍のスローガンたる軍旗に掲げるほど重用しています。当然、孫子の時代と武田信玄の時代では扱う兵器が違いますし、更に日本と中国で地形も文化も違います。それでも、信玄が軍旗に掲げた理由というのは孫子の戦術や戦略の実用的な部分に惹かれたのではなく、思想や観念的な部分に惹かれたためであると考えます。
また、もうひとつ例をあげると18-19世紀のプロイセンの軍事学者クラウゼヴィッツは、西欧近代兵学の代表的な人物ですが、その思想は軍事力の正面衝突による多大な犠牲をはらうものでした。
クラウゼヴィッツwikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/
その影響を受けたのが当時の大日本帝国です。当時の日本は急速な近代化のため、プロイセンの考え方を模範としていました。そして、その後の太平洋戦争でアメリカに手痛い敗戦を喫したのは言うに及ばずだと思います。その西洋近代兵学による敗戦も、孫子の兵法を活用すれば違ったのではないかと言った人物がいます。それは、フランスの軍事学者リデルハートです。
リデルハートwikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/
彼が20世紀に記した著書の『戦略論』の巻頭には孫子の兵法の引用が数多く存在します。なんと約2500年もの歳月を越えても尚、重用されていたのです。
それでは、孫子の兵法とはどういうものなのか。よく勘違いされるのは古い戦術や戦略を駆使し、必勝の戦い方を記している使えないものと考えられているかもしれません。しかし、内容をよくみてみると、要約すれば『あらゆる戦いに負けないための心構え』を記しています。必勝より不敗に重点をおいているのが孫子の兵法です。孫子の生きた紀元前5世紀ごろの中国は春秋時代で群雄割拠の時代でした。まさに弱肉強食の日本の戦国時代のような時代です。そのような時代において、生き残るためにはどうするべきかと必死に考え出来上がったのが、孫子の兵法です。
コンプライアンスやモラルに関する世間の目が厳しくなる現代において、他者への配慮を欠く行動や言動が問題視されており、協調性の必要性が叫ばれてはいますが、その一方で資本主義国家である日本において他者との競争が無くなるはずがありません。むしろ企業間で言えば世の中の移り変わりの速さから、生き残りをかけた競争は激しさを増しています。そんな現代だからこそ、負けない哲学としての孫子の兵法が必要なのではないかと私は考えます。それでは次回から孫子の兵法の詳しい内容に入りたいと思いますので、読みたいと思う方は是非ご覧ください。
参考文献:『孫子』浅野裕一
https://www.amazon.co.jp/
私としては、孫子の兵法を読むことは非常に意味のあることだと思います。その理由は孫子の兵法は、過去に時代を越えて読み返されてきた歴史があるからです。有名なものとして例をあげると、戦国時代にあの武田信玄が旗印として掲げていた「風林火山」です。
武田信玄wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/
「風林火山」は孫子の兵法の一説に記されています。日本の戦国時代は1400年代後半から1600年の間ですが、そのときすでに2000年の年月がたっているにも関わらず、一軍のスローガンたる軍旗に掲げるほど重用しています。当然、孫子の時代と武田信玄の時代では扱う兵器が違いますし、更に日本と中国で地形も文化も違います。それでも、信玄が軍旗に掲げた理由というのは孫子の戦術や戦略の実用的な部分に惹かれたのではなく、思想や観念的な部分に惹かれたためであると考えます。
また、もうひとつ例をあげると18-19世紀のプロイセンの軍事学者クラウゼヴィッツは、西欧近代兵学の代表的な人物ですが、その思想は軍事力の正面衝突による多大な犠牲をはらうものでした。
クラウゼヴィッツwikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/
その影響を受けたのが当時の大日本帝国です。当時の日本は急速な近代化のため、プロイセンの考え方を模範としていました。そして、その後の太平洋戦争でアメリカに手痛い敗戦を喫したのは言うに及ばずだと思います。その西洋近代兵学による敗戦も、孫子の兵法を活用すれば違ったのではないかと言った人物がいます。それは、フランスの軍事学者リデルハートです。
リデルハートwikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/
彼が20世紀に記した著書の『戦略論』の巻頭には孫子の兵法の引用が数多く存在します。なんと約2500年もの歳月を越えても尚、重用されていたのです。
それでは、孫子の兵法とはどういうものなのか。よく勘違いされるのは古い戦術や戦略を駆使し、必勝の戦い方を記している使えないものと考えられているかもしれません。しかし、内容をよくみてみると、要約すれば『あらゆる戦いに負けないための心構え』を記しています。必勝より不敗に重点をおいているのが孫子の兵法です。孫子の生きた紀元前5世紀ごろの中国は春秋時代で群雄割拠の時代でした。まさに弱肉強食の日本の戦国時代のような時代です。そのような時代において、生き残るためにはどうするべきかと必死に考え出来上がったのが、孫子の兵法です。
コンプライアンスやモラルに関する世間の目が厳しくなる現代において、他者への配慮を欠く行動や言動が問題視されており、協調性の必要性が叫ばれてはいますが、その一方で資本主義国家である日本において他者との競争が無くなるはずがありません。むしろ企業間で言えば世の中の移り変わりの速さから、生き残りをかけた競争は激しさを増しています。そんな現代だからこそ、負けない哲学としての孫子の兵法が必要なのではないかと私は考えます。それでは次回から孫子の兵法の詳しい内容に入りたいと思いますので、読みたいと思う方は是非ご覧ください。
参考文献:『孫子』浅野裕一
https://www.amazon.co.jp/