2019年10月16日水曜日

桶狭間の戦い 背景

 おそらく歴史が好きでない方でも、一度は聞いたことであろう桶狭間の戦いですが、この戦いの結果はご存じの方が多いと思いますが、この戦いの背景などはあまり知らない方もいるのではないでしょうか?今回はこの桶狭間の戦いの背景を解説したいと思います。

・戦力の差
今回の織田信長と今川義元との戦力差がどれほどあったかを示します。

織田信長
年齢:27歳
版図:尾張半国(実質5分の2)
石高:17万石
兵力:4000
世間の評価:うつけ(馬鹿)

今川義元
年齢:42歳
版図:駿府・遠江・三河
石高:100万石
兵力:25000
世間の評価:東海道一の弓取り(尊敬)

 これほど国力の差があれば、信長が義元に勝てる見込みはないと言い切れるでしょう。これだけの戦力差を覆した大逆転劇は歴史上類を見ません。また、泣けるのは世間の評価でこれほどまでに評価が低い信長と逆に評価が高い義元の違いから、世間がこの戦いの行く末をどのように思っていたのか想像できます。さらに年齢をみると脂の乗った年齢である義元に若造の信長が勝てるとは到底思わないでしょう。


・心境
 続いて心境について解説します。

織田信長
 勝てなければ滅亡。家臣団は林通勝を筆頭に籠城戦を主張しているが、籠城をして勝てた戦はかなり少ない。亡き父の信秀も戦は領地の外と訓戒していた。ならば、一か八か攻めるしかない。

今川義元
 足利幕府の没落により、足利家、吉良家に次ぐ将軍高家の今川家が上洛することにより世間を収めることを家臣どもから勧められたため、仕方なく上洛。また、田舎の駿府での都をまねた派手な暮らしに飽き始めてきたし、他にたいしてライバルもいないし、天下取りという娯楽を楽しもうと考える。

 以上が二人の心境です。このように神経ピリピリだった信長に対して、かなり油断している心境なのが義元です。このような心境の差が雨の助けもあって信長の勝利を呼び寄せたといっても過言ではありません。また、当人だけでなく部下にまでこの心境の差はあったと思います。それが、人数でいう4000対25000の差を埋めたのでしょう。

・戦況
 続いて桶狭間に至るまでの戦いはどうであったかを列記します。

①丸根砦攻防戦
 初戦は織田方が有利だったが、織田軍400に対して今川軍2500の戦力差は埋めがたく、今川軍の勝利。織田方の将は佐久間大学で戦死。ちなみに今川方の将は松平元康で後の徳川家康です。

②鷲津砦攻防戦
 こちらも丸根砦攻防戦と同じ時間にせめられ丸根砦が落ちて間もなく、落城。織田軍数百。今川軍2000。今川軍の勝利。今川方の将は朝比奈泰能。

③鳴海方面遭遇戦
 ②後に起こった戦い。織田軍の右翼隊500が今川軍の大軍と遭遇し壊滅。織田軍には若き日の前田利家が参加。今川軍の勝利。織田方の将佐々隼人正戦死。

 このようにすべての戦いで今川方が勝利を収めています。敗報が信長に飛び込んでくる中で信長や彼の配下はどんどん気を重くしていったことでしょう。心境的にはさらに決死の覚悟が強くなったと思います。しかし、信長は野戦をすることをやめませんでした。籠城すれば必ず負けると信じていたからです。これらの報告も馬上で今川方のもとに向かいながら聞いていました。そしてそれとは逆に今川方は数々の勝利に気をよくして、田楽狭間で昼弁当を食べるという余裕を見せます。しかし、これが信長の奇襲を成功させてしまうのです。突撃したときは強く雨が降った後の少しやんだ状態だったそうです。今川軍は雨を避けるために今川方の本軍の兵5000は散り散りになって防戦がうまくできませんでした。そして信長軍の毛利新助に討取られてしまうのです。



2019年9月22日日曜日

大河ドラマ 名演紹介 風林火山の動画化

風林火山の記事の動画化をしました。


ぜひご覧ください。

2019年9月18日水曜日

大河ドラマの好演俳優リスト(2007年放送 風林火山編)

 私は、歴史が好きですのでよく大河を見るのですが、主役はもちろんの事脇役の方の名演技に感動することがよくあります。そこで今回は、風林火山(2007年)の作品で武将のキャラと俳優のキャラがベストマッチしたケースをご紹介しようと思います。

  『板垣信方(千葉真一)』
 板垣信方は、武田家の重臣で両職の一人と言われています。武田信玄の父である武田信虎を追放後は、武田家の屋台骨的な存在で中核を担っていた存在です。しかし、板垣は武田信玄が村上義清との上田原の戦いで先方となり初戦は勝利しますが、逆襲を受けて討死します。そんな屋台骨的な頼りがいのある板垣を千葉真一は見事に演じており、最後の討死のシーンは圧巻です。



 『宇佐美定満(緒形拳)』
 宇佐美定満は上杉家の軍師で、上杉謙信に仕えました。宇佐美定満は上杉謙信の若かりし頃から存在し、謙信を軍事の面でサポートした頼れる切れ者です。宇佐美定満は謙信と抗争していた、長尾政景を暗殺するため野尻湖へ舟遊びに誘い、船底の栓を抜いたうえで、政景もろとも湖底に沈み死亡したとされています。そんな忠義に厚い宇佐美定満役を緒形拳が熱演しています。出番はあまり多くないですが、要所をしっかりとしめるような画面に映るだけでも存在感があります。



 『上杉謙信(GACKT)』
 風林火山で一番異例の抜擢で、なおかつ一番異彩を放っていたのがGACKTでしょう。ミュージシャンが上杉謙信をやることは今後ないと思いますが、それぐらい異例の配役であるのに関わらず、ハマっていました。上杉謙信の神々しいまでに強く、気高い感じがGACKTの人間離れしたような雰囲気にマッチしたのでしょう。今の若い人はGACKTというと芸能人格付けチェックという番組で出ているくらいにしかわからないかもしれませんが、当時は彼のような若い、イケイケのロックミュージシャンが謙信役をここまでこなすことに誰も想像だにしなかったように思え、一番意表をつかれたという印象を強く受けました。特に小田原の戦いで謙信が小田原城の門の前で相手が矢や鉄砲を撃つ中一人酒を悠々と飲み、その姿に相手の北条氏康が「我々はあんなやつと戦っているのか」と嘆き一度も門の外に出なかったというエピソードが一番好きです。





 以上で風林火山の好演俳優紹介を終えます。なかなか粒ぞろいな配役で面白かったですが、自分としては武田信玄が残念で、感情移入できなかったのを覚えています。それ以外のキャストは素晴らしかったのですが。。。

2019年9月15日日曜日

孔子のライバル 陽虎の動画化

孔子のライバル陽虎を動画化しました。


https://youtu.be/vNV1WbjLcmg

ぜひご覧ください。

孔子のライバル 陽虎

 季孫意如の家老だった陽虎は季孫意如が亡くなると、公山不狃と仲梁懐という家老仲間と謀反を企て魯の国内を乱しはじめます。その状況から孔子を陥れようとしていた少正卯は孔子は魯の国の実権を握ろうとしていると讒言し、三桓氏を言葉巧みに操り、孔子と陽虎達を戦わせ、孔丘が負ければ背後から襲い亡きものにしようと画策します。そして、孔子は陽虎の軍と戦うことになります。孔子も負ければ自分が味方に殺される事を承知で決死の戦いを挑みました。数では1/10程しかなく、圧倒的に不利な孔丘軍でしたが、弟子の子路に訓練させた兵は精強であり、陽虎の軍では長い間、祖国から離れて行軍していたものが多く士気が低下していました。また、孔子の善政に心引かれ脱走兵が相次ぎ、孔子軍の大勝利で終わります。

 少正卯の目論見は外れて、陽虎の敗走軍は次の一手を思案していると、少正卯が小姜と小虎という陽虎の妻と息子を連れてきました。この二人は、陽虎のことを大変憎んでいるのだということを陽虎に伝えました。陽虎は何か自分にとって不都合なことがことがあるとこの二人に暴力をふるって憂さ晴らしをする癖があり、そのため2人の家族は陽虎のことを心底嫌っていました。陽虎はこのときもいつもと同じようにこの2人に暴力を働きました。そして、この二人をその場に置きざりにし去っていきます。この二人は瀕死の状態で孔子の軍に保護されますが、陽虎はそれから追っ手に追われて魯国から逃げて、宋・晋を転々として、晋の趙鞅に召し抱えられました。趙鞅は全家臣の反対を押し切って陽虎を召し抱えてました。陽虎の統率力と政治能力を高く買ったのでしょう。これを恩に感じた陽虎は趙鞅に忠誠を誓い懸命に仕えたそうです。また、このとき魯の国を出た孔子に再会し、孔子の弟子たちの力を知っていた陽虎は孔子を晋の国に来ないかとさそいますが、孔子は断ったといわれています。

2019年9月12日木曜日

孔子のライバル 少正卯の動画化

孔子のライバル少正卯の動画化をしました。


ぜひご覧ください。

2019年9月11日水曜日

孔子のライバル 小正卯

 季孫意如が亡くなるとその家老職の陽虎という人物が公山不狃(こうざんふじゅう)と仲梁懐(ちゅうりょうかい)という家老仲間と謀反を企て魯の国内を乱しはじめます。そこで、少正卯が国王に進言し、今の国情では陽虎達を倒すことはできないので、各国から掃討軍を募り対抗させてみてはどうかと提案し受け入れられます。計6国の軍隊が魯の国に駐留し陽虎の軍を追い払うことに成功しますが、今度は6国の軍隊が魯の国の治安を脅かすことになり、国内は更に治安が悪化します。どうにもいかなくなった少正卯は孔子を長官にし、問題に対処させてみてはどうかという提案をし、孔子は弟子たちと相談し、論じてばかりでは本当の大道を得られないのではといわれ、魯の国の長官になることを決意しました。その後孔子は、まず6国の軍の筆頭である斉の国に使者として、弟子の子貢を遣わせ、外交政策をうまく行い、斉の国をうまく操り、6国の軍を撤退させることに成功しました。その後、孔子は内政を充実させる政策を次々に打ち立てて国力を回復していきました。しかし、そんな状況を面白くないと思った少正卯は、孔子は魯の国の実権を握ろうとしていると讒言し、三桓氏を言葉巧みに操り、孔子と陽虎達を戦わせ、孔子が負ければ背後から襲い亡きものにしようと画策します。そして、孔子は陽虎の軍と戦うことになります。孔子も負ければ自分が味方に殺される事を承知で決死の戦いを挑みました。数では1/10程しかなく、圧倒的に不利な孔子軍でしたが、弟子の子路に訓練させた兵は精強であり、陽虎の軍では孔丘の善政に心引かれ脱走兵が相次ぎ、士気は低かったのが原因で、孔子軍の勝利で終わります。

 陽虎を討伐した孔子はその功績で大司空に任ぜられ、益々王宮での発言力が増します。そんな折、少正卯も大司馬と呼ばれる軍事の最高職につき、同じく発言力を増していました。

 ある日、子路と冉有と子貢は兵の訓練後に、自分の資金で酒を買い兵をもてなしました。それを聞いた孔子は、兵の私物化が魯の国力の衰退をまねいたからと、その三人を厳しく咎め、精強に育て上げた兵達を大司馬の少正卯に引き渡すように言います。子路たちは反対しましたが、孔子の意思は固く、兵権は少正卯のものになりました。
 兵を返すやいなや、少正卯は淑孫氏と孟孫氏と共謀し魯国の都である曲阜(きょくふ)に攻めこみ、定公と孔子を亡きものにしようと画策します。季孫斯と孔子はこれに対抗し曲阜を守るのですが、少正卯の軍は5000に対し、孔子は近衛兵のみの僅か100程の兵しかなく、戦況は圧倒的に不利でした。また、少正卯は100程の兵を曲阜に忍ばせてあり、開戦間もなく、門は破られ定公と孔子と季孫斯は季孫家の屋敷のなかに逃げます。多くの敵兵に囲まれ、万事休すのところを、遠方地に派遣されていたかつての精鋭を呼び戻し、帰還した子路の戦車部隊が到着し、包囲を解きます。それを見た淑孫氏と孟孫氏は逃げようとしますが、少正卯はまだ戦車部隊が数百来ただけだから勝算はあると解きますが、理解されず一人曲阜に取り残されたところを捕らわれます。そして、謀反を煽ったとされ罪を一身でかぶり処刑されます。季孫斯宛の一冊の竹簡を遺して。
 少正卯がいなくなり、孔子の唯一の憂いは定公よりも三桓氏の権力が圧倒的に勝っているという事でした。そこで、三桓氏の私兵を魯の軍として参入させることと、三桓氏の領地の城壁を下げる事で権力を定公の元に集約しようと画策します。これには淑孫氏と孟孫氏が猛反発しますが、孔子は毅然としてこの態度を崩さず、弟子たちもまだ時期尚早だからやめた方がいいと止めますが、孔子は聞き入れませんでした。間に入っていた季孫斯でしたが、淑孫氏と孟孫氏の讒言に逆らえず、また、少正卯の竹簡にかかれたことが頭から離れませんでした。それは、孔子は魯の国を自分のものにしようとし、三桓氏を必ず追い出すようになるため、用心しろと言う内容でした。
 そして、季孫斯は今までの恩を仇で返す仕打ちをしてしまいます。魯の国の先代を祭る祭典の進行役に孔子を指定しておきながら、別の場所で季孫斯を進行役にした祭典を開き、孔子に恥をかかせます。これに愛想を尽かした孔子はこれ以上この国にいることの無意味さを悟り、弟子たちと共に魯の国を出ることにしたのです。

 小正卯は死して手紙ひとつで孔子を出奔させることに成功したのです。なかなかの奸雄と言えるでしょう。また、孔子も小正卯にしてやられたと後々も語ったとされ、ずる賢さでは小正卯の方が数段上だと言えるでしょう。

2019年9月10日火曜日

孔子の上司 季孫意如の動画化

 季孫意如の記事の動画化をしました。


https://youtu.be/dZxQkOwM9H0

ぜひご覧ください。

2019年9月8日日曜日

孔子の上司 季孫意如

 今回は孔子の上司である、季孫意如(きそんいじょ)を紹介します。季孫家は魯の国の王族の家柄です。季孫家はその中でも三桓氏の筆頭です。三桓氏とは魯の国の王族の家柄の者を指し、季孫家以外にも孟孫(もうそん)家、叔孫(しゅくそん)家があります。季孫意如と孔子とのはじめの接点は、孔子が若い頃に母親の亡骸を遺言通り父親のお墓に入れてやりたがっていましたが、母親が妾であるために、墓の場所を教えてもらえずにいたときになります。魯の王宮では孔子の噂が広まっていました。こんな乱世に親孝行な奴だと孔子を誉めた人物がいました。三桓氏筆頭の季孫意如(きそんいじょ)です。季孫意如は孔子の父である孔叔粱の墓の場所を孔子に教え、また孔子に官職を授け、倉庫を管理する委吏(いり)にします。その恩に報いるため、孔子は持ち前の誠実さと学識で実務をこなしていくうちに借金の帳簿に誤りがありことを知ります。当時、魯の王様襄公は三桓氏に借金をしているため、三桓氏の顔色を伺わなければいけない立場にありました。しかし、帳簿の記録を元に遡っていくと、実際は三桓氏が襄公に借金をしていたのです。それを上司である季孫氏に報告したのですが、当然受け入れられる訳もなく、季孫氏は襄公に知られる前に記録のすべてを焼き払い、襄公に真実を伝えられることはありませんでした。季孫氏は孔子に要職を任せると優秀であるがために、自分を脅かす存在になるのではないかと孔子のことを恐れたため、乗田という羊飼いの職につかせることにしました。しかし、しばらくすると孔子は母親の二つ目の遺言を果たしたいので宋にいかしてほしいと願い出ます。孝行者の孔子の更なる孝行の願いでもあるので、認めざるをえないことと、認めてあげれば自分の仁者としての名声も上がると判断した季孫氏は承諾します。

 孔子が無事二つ目の遺言を叶えて戻ってくると、魯の国は腐敗しきっていました。闘鶏が国中で行われており、しまいには王と三桓氏らによる全財産をかけた闘鶏が行われようとしていました。しかし、これは互いにいかさまが露見し無効になります。そんな騒動が行われるなか、魯の王様襄公は三桓氏の陰謀にはまり国を追い出されてしまいます。襄公についてくるのは古くからの家来を含めても、孔子とその弟子たちだけでした。そして、年老いていた襄公はとなりの斉国で息絶えます。孔子に「誠の忠臣はそなただけだったな」という言葉を囁いて。襄公の亡骸を魯の国に運ぶと、三桓氏たちは声を揃えて「何を今さらもどって来たのだ。まるで、私たちが悪いことをしたみたいではないか」という言葉をかけたのですが、季孫意如だけは「よく戻ってきた。我々が間違っていた。」と言ったそうです。この頃、季孫意如は病に臥せっており、襄公を追放した後にさらに魯の国が混乱したことに責任を感じていました。そして孔子に「私の息子を導いてくれ」と遺言し、息を引き取ります。孔子は「あれほど聡明な季孫様でも見誤ることがあるのか。」と嘆いたと言われています。また、遺言通り季孫意如の息子の後見人になっていきます。

 優秀な人物でも回りが悪いと本領を発揮できないものです。孔子が認めた人ですし、僕も季孫意如は優秀な人物で、かつ無名の孔子を賞賛したところに慈悲もあった人であると思います。

孔子の弟子 『曾子(曾参)』の動画化

孔子の弟子、曾子を動画化しました。

 https://youtu.be/N0zYRrv5Cfo



ぜひご覧ください。

ペンション ベストフレンド宿泊

 泊まったペンションはベストフレンドというところです。

ベストフレンド
http://www.lcv.ne.jp/~bfriend/


このペンションの部屋からも富士山が見えました。かなり、天気がよかったです。中央左の雲の上から少し見えているのが富士山です。






鯛の衣焼きで、パリパリで美味しかった。


豚肉のソテーも柔らかくて美味しかった。


車山高原 長門牧場 旅行

 次の日に車山高原に行ってきました。かなり天気がよくて最高なロケーションでした。

車山高原
https://www.kurumayama.co.jp/summer/



標高1925Mです。雲の上にいるような感じでした。


中央の雲の上に少し除いている遠い山が富士山です。


リフトの上にはタンクもありました。


白樺湖もみえます。








その後長門牧場に行ってきました。


長門牧場
http://nagatofarm.com/



アルパカが放し飼いになっています。


大人しくて襲われる気配は全くありませんでした。

チロルの森へ旅行

 一昨日と昨日、久しぶりに長野県茅野市まで旅行に行ってきました。まず始めにいったのは、チロルの森です。

チロルの森
http://www.tirol.gr.jp/

 入場料はとられますが、なかなか色々な見処がありよかったです。子供連れにはもってこいだと思います。


標高も高いので、スイスのような感じです。オーストリアをモチーフにしているみたいですが。




牛も放し飼いでいます。人の通るところには来ないですが。乗馬体験も出来ます。


森の中にあるので、癒されます。


おじいちゃんが頑張って仕事してました。


どうやって作ったのか、巨大なカボチャが大量においてありました。ハロウィーンようでしょう。



ミートソースパスタ食べました。自家製ウィンナーも乗ってて美味しかったです。

2019年9月7日土曜日

孔子の父 孔淑梁の動画化

孔子の父 孔淑梁を動画化しました。

 https://youtu.be/-YZLBVI7FaY


よろしければコメント等よろしくお願いします。

2019年9月6日金曜日

孔子の父 孔叔梁

今回は孔子の父、孔叔梁(こうしゅくりょう)について紹介したいと思います。孔叔梁は魯の国の将軍です。ある日孔叔梁は魯の国の王襄公に命じられ、斉の国に潜入していました。楚の国の特使である熊伯に不穏な動きがあり、熊伯の行動を監視し、ことによっては暗殺する任務についていました。しかし、この任務はとても危険を伴う任務でした。なぜなら、斉の国は魯の国と敵対しており、潜入していることがばれてしまえば、すぐに斉の国の兵がやってきてしまいます。さらに、孔叔梁の軍は潜入任務のため、少数しか連れていませんでした。そのため、戦いになれば万が一にも勝てる見込みがありません。そんな中、熊伯が睨んでいた通り、楚の国と斉の国が手を組んで魯の国を攻め立て、分割統治をしようという話を始めました。それを聞いた孔叔梁は、直ちに兵を動かし熊伯を倒しましたが、斉国の兵が援軍を呼びに宮殿へ駆けていきました。そして、援軍が直ちにやってきて孔叔梁の一隊を襲撃しました。孔叔梁の一隊は、それにより壊滅し、孔叔梁も瀕死の重傷を負いました。その傷をみた、顔徵在という熊伯の奴隷は何を思ったのか、孔叔梁をその場から連れ出し、魯の国に向けて逃亡しました。なんとかその場からは逃れたものの、季節は冬で極寒の中大の男を抱えての足取りは重くなかなか、歩みを進められませんでしたが、なんとか魯の国にたどり着き、孔叔梁は命を取りとめることができました。彼らはその後、尼丘山で婚約を交わし、子供を授かります。その子供が孔丘といい、後の孔子となります。そして、孔叔梁は自分のもうひとつの家族があるみだったので、顔徵在は妾になるのですが、顔徵在に平民の位を授けてもらうように進言しました。孔叔梁は先の熊伯暗殺の功で称賛されていたため、進言は受け入れられました。その後の戦いで孔叔梁は戦死しますが、孔叔梁の勇敢さは子供の孔丘に引き継がれました。そして、母の慈悲深さも受け継がれて、子の孔子は魯の国を代表する偉人となってゆくのです。

2019年9月5日木曜日

孔子の母 顔徴在の動画化

孔子の母、顔徴在を動画化しました。

https://youtu.be/lV00fifx_tI


ぜひご覧ください。

孔子の母 顔徵在

今回は孔子の母を紹介したいと思います。孔子の母である顔徵在は、斉国の出身で家族が軍に皆殺しにされて仇討ちのため人殺しをして、処刑されるところでした。冒頭から壮絶ですが、そんな顔徵在を熊伯(ゆうはく)という楚国の特使に奴隷として使いたいからと命を助けられます。しかし、顔徵在は家族を失った悲しみから、命の恩人の熊伯に心を開くことはありませんでした。そんな折り、熊伯が楚国と斉国で弱小である魯国の分割統治をしようと企みます。しかし、この企みは、少数部隊で潜入していた孔叔梁(こうしゅくりょう)の耳に入り、熊伯を暗殺しますが、孔叔梁も傷つきます。顔徵在はその孔叔梁を懐抱しながら、魯国へと一緒に向かうことになります。目の前で傷ついている人を放っておけない良心の持ち主であったのでしょう。途中雪が降り、山賊に襲われそうになりながらも、少しずつ歩みを進め、なんとか無事魯国にたどり着くことができました。孔叔梁には、妻と子供がいたのですが、孔叔梁の功績により、魯国より顔徵在を内縁の妻として住まわせ、魯国の平民の身分を与えられました。そして、子供を授かります。それが後の孔子になります。その数年後、孔叔梁は戦に敗れ命を落とします。孔子は物心ついたときから、母親である顔徵在一人の手で育てられました。顔徵在は立派であった父親の子であることに誇りを持つようにと、孔子が10代のときに各国へ旅に出て世界を見るように言います。そして、数年間各地を旅して帰ってきた頃に顔徵在は重い病に臥せってしまいます。孔子は悲しみますが、顔徵在は気丈に振る舞い、孔子に「男たるもの人前で涙を見せるものではない」と叱ったそうです。そんな顔徵在もついに病に命を落とします。孔子は、母の遺言である父と同じ墓に入れてほしいという願いを叶えるべく、母の亡骸を棺にいれたまま、魯国中を歩き回り、孔叔梁の墓はどこですか?と聞いて回りつづけ、国中で噂になるようになります。そんな噂を聞き付けた、魯国の大臣が孔子の孝行ぶりに感心し、顔徵在の亡骸を孔叔梁と同じ墓に入れたそうです。孔子は、母親の慈悲深さと父親の忠義心を受け継いだ立派な青年に育っていきました。そして、顔徵在は自分の育てた息子に自分の望みを叶えてもらえたのでした。

2019年9月4日水曜日

孔子の弟子 冉有の動画化

孔子の弟子冉有を動画化しました。

 https://youtu.be/Ky9oJao5VXQ 


ぜひ一度ご覧ください。

孔子の弟子 『冉有』

孔子の弟子4人目は冉有です。冉有は、兵糧の準備や年貢の取り立てなどを行い前線の味方の後方支援が得意ですが、前線に出て戦うこともあり、陽虎討伐戦では、子路と共に副将として参戦し戦功をあげました。また、冉有は先に門弟になっていた子路のことを兄弟子と仰いだりして、子路と行動を共にすることが多かったそうです。また、孔子の晩年に魯の国が呉と越の連合軍に攻められようとしたとき、700の兵を精鋭に育て上げ、国境付近で待機している敵軍2万を夜襲し追い払うことに成功しています。この事から、孔子の弟子のなかでは子路に次ぐ武断派であったといわれています。冉有のエピソードとして、こんなものがあります。冉有が孔子に、「思ったことはすぐに行動にうつさなければならないのでしょうか?」と聞いたときに、孔子は「すぐに行動にうつしなさい」と言ったそうです。しかし、それと同じことを子路が言うと、「よく考えてから行動しなさい」と言ったそうです。子路は機微が敏感すぎるたちなので、考えてからと言って諫め、冉有は優柔不断なところがあったため、すぐに行動しろと激励したという話です。猪突猛進の子路と慎重派の冉有はお互いの欠点を補い会ういいコンビだったのでしょう。彼らの采配により、数々の戦で魯の国は勝利を納めることになります。しかし、このコンビは三国志の楽進と李典を思わせるような名コンビですね。

2019年9月3日火曜日

孔子の弟子 子路の動画化

孔子の弟子の子路を動画化しました。

 https://youtu.be/-HXmr2_BaKg 



コメント等お待ちしています。

孔子の弟子 『子路』

孔子の弟子3人目は孔子に幼少期から弟子入りしており、孔子に最も信頼された子路です。孔子が長官になってからは、一軍の大将を任せられ、数々の戦場を駆け回り戦功を立てました。中でも、陽虎討伐戦では素人同然の兵3千を短期間で精鋭に育て上げ、その兵を率いて陽虎の軍3万を打ち破る功をたてました。また、兵と心を交わすことが得意で、敵対していた少正卯の元自軍の兵を鶴の一声で自分のものにしてしまうほどです。孔子いわく「質実剛健で、困難なことにも立ち向かう強さを持っているが、融通が効かず、まっすぐすぎる性格が災いするだろう」と評されます。孔子の晩年の諸国放浪の旅について行き、衛国にとどまり兵の訓練や戦の指揮をとっていたが衛国の内乱に巻き込まれ、部外者であるが逃げることなく兵をまとめようとするも、反乱軍に重囲され、憤死します。多数の傷を負いながら孤軍奮闘する中、兜が自分の頭から落ちたのを見て「君子は冠を正しくするものだ」と言い、再び結び直してから絶命したといいます。孔子の弟子のなかでも、随一の武断肌の人物といえるでしょう。 孔子に弟子入りした子路な真っ直ぐで聞かん坊な性格であったと書かれていることが多く、度々回りの弟子たちと衝突したり、時には孔子とも言い争いをすることがあったようです。そんな子路を叱りつつも孔子は彼を可愛がっていたと言われています。

2019年9月1日日曜日

孔子の弟子『顔回』の動画化

 孔子の弟子『顔回』の動画化をしました。

 https://youtu.be/ryM8qZpFpXI  



ぜひ一度ご覧ください。

孔子の弟子 『曾参』

 孔子の弟子シリーズ2つめは曾参です。彼は、孔子から『考』(親孝行)の道に秀でており、考についての考え方は孔子よりも優れていると言われたほどです。また、彼は学識も優れており孔子や顔回とともに学問の話をよくしていたと言われています。彼は親孝行の性格でよく知られていますが、こんなことわざも作られています。彼の母親は曾参のことを信用していたのですが、曾参の使いのものから曾参が人を殺したという話を聞かされます。彼の母親はそれは嘘だろうと一度は思ったのですが、何度も何度も同じことをいう人がいたので、とうとう信じてしまい、慌てふためいたそうです。実際は曾参の親戚が人を殺したみたいだったのですが。
 その事から「曾参、人を殺す」という言葉は、あまりに信じがたい嘘でも何度も言われると信じてしまうこともあるという例えになっています。そのような説話になるほど当時の人々にとって曾参が親孝行ということが知れ渡っていたということになります。
 孔子も彼のような賢く、親孝行な若者を好んでいたようで、孔子の孫の子思は彼に従事していたと言われています。余談ですが、子思に従事したのが「性善説」を書いた孟子です。曾参も後に曾子となり、朱子学の4聖と言われるようになります。孔子も実の母親が亡くなったときに、父親と同じお墓に入れてほしいと遺言で頼まれていたのですが、父の墓の場所がわからなくて、棺の中に母の亡骸を入れたまま何日も歩き回ったという逸話があります。そんな、親孝行の2人だからこそ話が合うところもあったのも知れませんね。

孔子の弟子 『顔回』

 今回は孔子の弟子である顔回を紹介したいと思います。孔子伝外伝でも書いていますが、僕の好きな人物であるために、もう一度詳しく紹介したいと思います。顔回は孔子の弟子の中でも学問好きで知られ、名だたる孔子の弟子の中でも秀才であったと言われています。また、学問をすること以外は興味をひくものがなかったのか、暮らしぶりは極めて質素であったと言われています。孔子からはこう評されています。
 「怒りを遷さず、過ちをふたたびせず」
性格も穏やかで同じ過ちを二度繰り返す人ではなかったと言われています。また、彼は殷の旧時代の文献を読むことができる数少ない人物で彼の学識の高さが窺えます。そんな顔回ですが、彼は孔子よりも30歳も若かったのですが、孔子よりも先に他界します。彼の学識を誰よりも愛していた孔子は彼の死を真に受けたときに
「ああ、天われをほろぼせり」と嘆いたと伝わっています。弁舌の得意な子貢よりも高く評価されていますね。孔子は、目先の利益や口が達者な人よりも、謙虚さや素朴さや勤勉さを重んじる人であったので、顔回のような脇目もふらずに学問一筋の人を愛したのでしょう。彼は後世で朱子学の4聖と言われ、彼の姿勢は後々まで語られることになります。

2019年8月30日金曜日

FACT FULNESS 後編の動画化

FACT FULNESS後編の動画化をしました。

https://youtu.be/O-ClxPs0cb0



ご感想お待ちしています。

FACT FULNESSを読んで 後編

 今回でFACT FULNESSの連載は最後になります。

 教育の現場でこれから先必要なことは世界のほとんどの国は中程度の所得だということを教えることと、自分達の国は進歩していないと誤解しないように、昔の生活が実際にどんなものだったのかを教えるべきだと思います。私たちとあの子とたちのように使う、先進国と途上国のような見方はもう古いので、所得レベルで人を見るようにすることが大切です。また、自分達の国は発展していないように感じたら、自分のお父さんやおじいさんの時の話を聞けば劇的に進歩していることがわかるでしょう。それから、世界は変わり続けていることと、死ぬまでずっと知識と世界の見方をアップデートし続けなければならないことを教えるべきだと思います。学校で学ぶことはどんどんと時代遅れになっていきます。また、現在世界は加速度的な早さでアップデートしていっています。時代遅れの知識でアップデートした世の中を生き抜くことは難しいので常に新しい知識を取り入れて、自分をアップデートしていかなければならない。

 次にビジネスの現場ではどうするべきか。現在、西洋の多国籍企業や金融機関で働く人たちはいまだに、ずっと昔の世界のままだと信じ込んでいる人が多くいます。しかしそれでは、多くのビジネスチャンスを逃がすことになると思われます。これからの市場は人口比率の増加から、西洋よりアジアとアフリカであると思われます。世界の見方をアップデートしないとビジネスに大きな支障をきたすことになるでしょう。

 事実に基づいて物事を見ることは、億劫で気が引けると思われる方もいるかもしれません。そういう人に知ってもらいたいことがあります。人は悲観的に、よりドラマチックに世界を見たがる傾向があります。また、マスコミもそれを理解しているので、人の感情に訴えかけるニュースを報道しがちです。しかし、そういう見方はあまりに後ろ向きで心が冷えてしまいます。そんなときに事実に基づいて世界を見れば世の中それほど悪くないと思えてくると思います。いまだに悪いこともあるかもしれませんが、少しずつ良くなっていることもあるのです。この二つは共存することを理解し、真の知識を広めて世界の見方を変えていきましょう。そうすれば、自然と心が穏やかになってくること思います。

モラルやコンプライアンス

 https://www.j-cast.com/tv/2019/08/27365903.html

近年、パワハラやモラハラなど企業の人たちへのモラルのあり方が提唱されるなか、ついに官僚へもその流れが来たようですね。思えば、この流れは教育現場から来ていたのではないかと思います。モンスターペアレントが我が子可愛さに教師を糾弾するということからはじまっていたのではないでしょうか。
 それから企業へと波及し、民間を浸透したと思えば、国の内部である官僚にまで影響を及ぼしたという流れです。
 日本では、徐々にではあるますが、確実にある一定の権力を握った人、例えば学校でいう教師、会社や国での上司に当たる人だけがモラルを守れるのではなく、権力のないすべての人々のモラルが守られる時代が来ているのではないのでしょうか。

2019年8月29日木曜日

FACT FULNESS 中編の動画化

FACT FULNESS中編の動画を作成しました。

https://youtu.be/U59BXqf3vTk



よろしければコメント等御願いします。


FACT FULLNESSを読んで 中編

 今回も前回に続き、FACT FULLNESSの書籍紹介をします。

 よく世界人口は年々増え続けており、この先もひたすらに増え続けると思っている人がたくさんいると思いますが、単刀直入に言うとそれは、間違いです。人口の増加は2040年ほどまでは増え続けますが、人の寿命は100年前後なので100歳世代が生きていくことは出来ないため、人口増加はとまります。また、子供の数は年々少なくなる計算で、そうなると人口は2040年に110億人になるとそれ以降は横ばいで増えなくなります。

 次に子供が生き延びやすくなると、人口が増え過ぎて地球が滅んでしまうという考えの人がいますが、それは間違いです。貧しいレベル1の国では、子供を5人も6人も作る家庭がありますが、彼らは子供がたくさん欲しいわけではありません。約半分の家庭で一人の子供が5歳になるまでに死んでしまうからなんです。とても悲しい現実ですが、逆に言えば子供が死ぬことがなくなれば、たくさん作る必要がないため貧困からも脱することができます。それにより、収入が増えれば高度な医療を受けることができるのでさらに寿命を安定させることができます。その証拠にレベル2以上の世帯では、子供の数が平均で2人と激減しています。貧しい子供たちに私たちがしなければならないこと、それは迷いなく全力で病気で子供が亡くならないようにすることなのです。それが未来の私たちと地球を救うことに繋がります。

2019年8月28日水曜日

FACT FULNESS 前編の動画化

FACT FULNESSを動画化しました。

https://youtu.be/QqQZ17-ZjuA



コメント等よろしくお願いします。

FACT FULNESSを読んで 前編

 FACT FULNESSを読んでかなりたってしまいましたが、感想と内容紹介をしようと思います。

 まず、この本ではほとんどの人、特に知識人は世界を間違った捉え方で見ていると言っています。それも、悪い方向に勘違いしていることが多いそうです。では、どんな勘違いをしているか、書いていきたいと思います。

 まず、第一に世界は分断されているという思い込みをしているとこの本では言っています。先進国と途上国や裕福な国と貧困な国などは現在通用しないと言われています。1965年では、確かに存在していたのですが、2017年では全人口の6%ほどしか貧困のレベルにいないとわかっています。また、全人口の75%は中産階級に所属していると言われています。

 それでは、裕福な生活レベルや貧困な生活レベルとはどんなものなのか、各レベルを4つに区切って説明します。貧困を1に、裕福を4としています。

 レベル1
(水の調達)・ぬかるみの泥水を使用
(移動手段)・裸足
(調理方法)・薪で火を焚く
(料理)・粥のみ
(収入)・1日2ドル
(レベル人口)・10億人

レベル2
(水の調達)・川にポリバケツで汲む
(移動手段)・自転車
(調理方法)・キャンプ用のバーナー
(料理)・野菜と穀物の炒め物
(収入)・1日4ドル
(レベル人口)・30億人

レベル3
(水の調達)・水道
(移動手段)・オートバイ
(調理方法)・カセットガスコンロ
(料理)・肉と野菜の炒め物
(収入)・1日16ドル
(レベル人口)・20億人

レベル4
(水の調達)・上水道
(移動手段)・車
(調理方法)・キッチンコンロ
(料理)・彩り豊かな野菜と肉の炒め物
(収入)・1日32ドル以上
(レベル人口)・10億人

 おそらく、この記事を目にしている人はレベル4の人がほとんどでしょう。同じ国の中でもレベル4の人たちだけではありません。日本でもレベル3の人はいるし、ケニアやインドナイジェリアにもレベル4の人はいます。問題は途上国、先進国と決めつけないで、その人の生活レベルで判断することが事実をよくつかむための第一歩です。

 よくレベル4の人たちが勘違いしてしまうこととして、レベル4の人たちから見たら、レベル1の人もレベル2の人も同じに見えることです。上から下界を見下ろすのと同じで、平均しか見れなかったり、極端な数字の比較しかできないなど大事な事実を見落としがちになってしまうので、十分に注意が必要です。





年金問題

昨日、こんな記事を見ました。

https://portal.uqmobile.jp/detail/1/3/6/101_2_r_20190827_1566895292030136

これぐらいの額をもらえれば、まだ老後なんとか生き延びれますが。。。どうなることやら。なんとも不安です。やはり年金は当てにしては駄目なのかな?


2019年8月26日月曜日

LIFE SHIFT後編の動画化

『LIFE SHIFT 後編』の記事の動画化をしました。

https://youtu.be/SYnYKp0HovA



ご感想お待ちしています。

2019年8月25日日曜日

大日ヶ岳登山

先日、大日ヶ岳に登ってきました。

凄く天気がよくて良かったです。

ダイナランドというスキー場に車をおいて登り始めます。


ひたすらリフト沿いの砂利道を進みます。スキー場だけに傾斜が結構急です。


30分くらい進むと、少し雰囲気が変わって木陰道になります。ここで小休憩🍵


小さい看板があります。


さらに30分くらい進むと小大日が見えてきます。


ここからの眺めも素晴らしいです。



さらに30分くらい進むと頂上です。1709mです。頂上は風が吹くと肌寒くて15℃くらいでした。








下山して中腹でお昼をつくって食べました🎵


 ここからでも景色は良かったです✨




2019年8月24日土曜日

LIFE SHIFT 中編を動画化

LIFE SHIFT中編を動画化してみました。

https://youtu.be/8qAkYOfX9zo



コメント等いただけたら幸いです。

LIFE SHIFT 前編を動画化

LIFE SHIFT前編を動画化しました。

https://youtu.be/SIvTU8xgXAM



コメント等いただけたら幸いです。

子貢を動画化

 孔子の弟子である子貢を動画化してみました。

https://youtu.be/DCnO3szXbmo



コメント等いただけたら幸いです。

高橋紹運の記事を動画化

 先日高橋紹運の記事を動画にしたのでリンクを載せます。

https://youtu.be/nYVwgDjqW0E



コメント等いただけたら幸いです。


2019年8月19日月曜日

『LIFE SHIFT』を読んで 後編



前回に引き続き、LIFE SHIFT の内容紹介および感想を投稿していきたいと思います。

 長寿化時代には人生の設計と時間の使い方を今までのやり方から根本的に見直す必要があります。そうすることではじめて、長寿を厄災ではなく、恩恵にできると考えます。私たちが選択できるステージがすでに変わりはじめている部分もありますが、指摘したいのは、私たちのこれまで培ってきた、自己意識が科学の発展や社会構造の変化によって根本から揺さぶられるということです。
  過去に遡って考えてみると、人類の歴史の多くの時期、私たちは生き延びるための戦いを強いられてきました。寿命は短く、食料は足りず、人から感染する病気と人から人への暴力の脅威につねにさらされていたからです。しかし、近年になり寿命は大幅に延び、暮らしが格段に豊かになると、多くの人が我が子に安全と教育を与えることができ、働くことによって金銭面の安定を手にできる時代が訪れました。そして、今後、人生がさらに長くなったとき、私たちはこれまでの3ステージの人生の一斉行進モデルから脱却し、もっと多くの選択肢に向き合わなくてはならなくなるでしょう。先にも説明した通り、100年以上にわたりアイデンティティを維持し、人生のさまざまなステージに一貫性をもたせることは、簡単ではありません。そのために自らを見つめることは多くの人の能力を越えていると、一部の論者は主張します。しかし、研究によりセルフ・コントロールは先天的な要素をはらみつつも、後天的に身に付けられることがわかっています。未来に危機感を持ち事前に準備する能力は、学習できるのです。
 長い人生では学習と教育がいっそう重要になり、それに多くの時間を、費やす人が増えます。いつも時代の流れに遅れをとりがちな、教育現場でさえ学習方法のイノベーションも進むでしょう。これまで引退者として見なされた年齢の人でさえも、教育への真剣な投資がなされるようになります。教育環境はどちらかと言えば保守的な産業です。先人の思考が産み出した成果を現在の世代に伝えることが教育の基本なのでどうしても遅れがちになります。教育という古い産業はテクノロジーの進歩により、遅れをとりすぎた分、破壊的イノベーションの期が熟していると言われています。既存の教育機関は、今までの3ステージの人生における第一段階のニーズに応えるには最適でしたが、今後はマルチステージの人生のニーズに応え、成長著しいMOOCsとの競争に負けないために、絶えず対応に追われることになりそうです。
 人々の勤労人生が形作られる環境は、働き手の欲求や願望だけでなく、企業の制度や手続き、文化や価値観にも左右されます。100年以上生きる人たちのニーズに応えるために、企業には今までとは違うものが求められることになりそうです。それでは、いったい何が求められるのか?6つの提案をしたいと思います。
 第一は有形と無形の資産に関して企業が発するメッセージのバランスを取ることです。人生100年時代になると新たに資格を習得したりなどしないと時代の流れに乗り遅れてしまう可能性があります。
 第二に従業員が移行するときに必要な支援を提供することです。働きながら資格を取れるようにしたりなど、仕事の負荷を考えながら任せる必要があります。
 第三は3ステージの人生を前提にしたものからマルチステージの人生を前提にしたものに改めること。給料の賃金カーブも資格に応じて上げたり、資格の無い人との差別化をはかる必要が出てくるでしょう。
 第四は仕事と家庭の関係の変化を理解すること。女性の社会進出が増えるなかで、男性が休業する機会が今までよりも増える可能性が高いため柔軟に対応すること。
 第五に年齢に対する考え方を改めて、年齢を基準にすることをやめること。役職なども年齢が高い人だけがなるのではなく、若くてもこれまでの海外でのビジネスの経験や資格の有無などで昇進させること。
 第六に人材採用時にどのような経歴の持ち主を評価するかに関して、実験を容認・評価すること。実験するために、働いていない期間があるからと門前払いすることなく、その期間にどんな経験をして、これからの時代の変化に有用な人物かどうかを評価すること。

 以上の事を変えていくことが必要になるでしょうが、これには人事の一大改革が必要です。
 政府と企業の時代遅れのルールへの苛立ちを強めた人々は、個人単位と集団単位で新しい働き方と生き方を実験したいと思いはじめるでしょう。それは、間違いなく好ましい材料です。そうして行った実験のプロセスを通じて、多くの人が自分にとって真に大切なものを探索するようになり、一人一人の個性と多様性が奨励され、称賛されるようになります。こうして、将来人々は多様な働き方と生き方を、選べるようになり、それが100年ライフの果実を生むのです。

 以上が内容紹介になります。自分もアフィリエイトなどの仕組みが整ってきた現実を知るにつれて、ひとつの会社に勤め続けることのリスクを考えるようになりました。皆さんはどう考えますか?長寿の時代は、悲観的なことばかりではなく、自己実現をできる可能性も秘めていることに着目して、これからの変革のときを過ごしていくと、幸せな人生がおくれるかもしれませんね。

2019年8月11日日曜日

『LIFE SHIFT』 を読んで 中編


今回も前回に引き続き、本の内容を、紹介していきたいと思います。

 いままでの人の人生では、学生、社会人、引退の3ステージで考えられていたものが、人生100年時代になると新たに3ステージが台頭してくると予想されます。

 まずひとつはエクスプローラー(探検者)の期間です。それは、周囲の世界を探査し、そこに何があり、その世界がどのように動いているか、そして自分が何を好み、何が得意かを発見していく期間になります。観光客が旅先の町を見物するような態度では大きな成果は得られません。望ましいのは深く関わりを持つことです。その土地で長く暮らし、文化に触れ、地元のフェスティバルなどの地域行事に参加し、さらに就労する必要があると思われます。エクスプローラーとして生きるのに年齢は関係ないが、30歳までか、40歳半ばか、70歳ごろが適した時期だと思われます。人生の岐路に立つであろう年齢だからです。この経験は、現状を再確認し自分の持っている選択肢について理解を深め、自らの信念と価値観について深く考える時間にできます。自分をよく知り、世の中をよく知るための将来への投資のような期間と言えるでしょう。これまでの世の中のように、学校教育を終えてそのまま企業の世界に入った人は、早い段階で専門分野を決めたことにより、袋小路に追いやられる危険がついて回ります。それにより大学に入ったり専門学校に入る人がこれまで以上に増えていくと見込まれています。また、これまでの勤労期間40年なら、ひとつの企業でひとつのスキルを極めればよかった事が、これからは通用しなくなる可能性が高いといえます。もうすでに、一つの会社では通用しないようなことも出てきているではないでしょうか?または、企業がこれまで主力としていた事業の撤退を余儀なくし、新たな市場をもとめて新事業を立ち上げることも珍しくなくなって来ていることでしょう。その事業の移り変わりのペースがこれからの世の中はさらに早くなっていくことでしょう。

 次に考えられるステージはインディペンデント・プロデューサー(独立生産者)です。このステージは旧来の起業家とは性格の異なる新しいタイプの起業家になったり、企業と新しいタイプのパートナー関係を結んだりして経済活動に携わる格好となります。オフィスなどが存在しなくても、在宅でできる可能性もあります。旧来のオーソドックスな企業勤めの道筋からはずれて、まったく新しい形の自分のビジネスを始めた人たちがこのステージを生きると思われます。一言で言えば、今ある既存の職を就職先として探す人ではなく、自分の職を新たに市場に産み出す人です。このステージは金銭的資産を蓄えることより、なんの組織にも属さずに独立した立場で独自の生産的な活動に携わるために、まとまった時間を費やすことが大きな意味を持ちます。手掛けた仕事をまとめたウェブサイト、ツイッターの投稿、YouTubeのチャンネルなどはすべて、アイデアと能力を世の中に宣伝する手段になりえます。現在でも、事務所に所属しないユーチューバーなどはこれらに属するでしょう。これからは、さらにそういった人々が増えていくであろうし、さらに新しいやり方も生み出されていくでしょう。

 最後に考えられるのは、ポートフォリオ・ワーカーです。人生には、一種類の活動に専念する時期があります。高給を受け取れるエリート企業や個人経営の職に就いたり、インディペンデントプロデューサーのように自分のビジネスを立ち上げたり、エクスプローラーとして様々な可能性を探索したり、フルタイムの学生に戻ったりする時期がそれに当たります。そのように、異なる種類の活動を同時に行うのがポートフォリオ・ワーカーです。このステージは生産活動に携わる期間のいつでも実践できます。現在でも、就労しながら資格の勉強をすることは広義の意味ではこれと同じであると思われます。様々な可能性を探索し実験するために、このような生き方を選択する人もいれば、やりがいのある仕事に就くことが難しいために、不本意ながらそれを選ぶ人もいるでしょう。テクノロジーとは無縁な工場で働きながら、歴史小説や最新の科学技術が紹介してあるようなビジネス書を読みつづける僕のような人は不本意ながらそれを選ぶ人間になるでしょう。というか、頃ブログを書いているということは、まさにそういうことであるといえるかもしれません。この時期は人的ネットワークを広げ、様々な分野の人々と関わり、業種をうつっても活用できて評価されやすいスキルと評判を身に付けなけなくてはならないと思われます。
 現在より、未来はより個人の評判の良しあしによって仕事が舞い込んだり、なくなったりしていくと思います。現在でも、ニコニコ動画の再生数でメンタリストのDAIGOさんは企業の再生数を抜いてしまっていますし、ホリエモンさんなんかはその先駆者でライブドアを追い出されてから、ネット界の重鎮になっていまでは不動の人望を獲得しています。そのうちマスメディアを追い越すこともあり得るかもしれません。

 20世紀に「ティーンエイジャー」と「引退者」のステージがそうだったように、やがてこれらの新しいステージや移行期間は、特殊なものではなく、ごく普通の生き方になってくるでしょう。それどころかもっと実験が行われ、人生の筋道がもっと多く見いだされて、これ以外にもっと多くのステージが出現しても不思議ではありません。これらは、過去から類推される未来のステージを書いてあるだけに過ぎないのです。

『LIFE SHIFT』 を読んで 前編


 先日LIFE SHIFTという本を読んだのですが、その本の紹介込みの感想を書きたいと思います。

 現在日本の平均寿命は85歳前後であるが、平均寿命は過去200年ほどの期間右肩上がりできました。1840年以降、データがあるなかで最も長寿の国の平均寿命は1年に平均3ヶ月のペースで上昇しています。10年ごとに2~3年ずつ寿命が伸びている計算です。そうなると、2007年に生まれた子供の半数が107歳より長く生きると予想されます。
 最近のニュースでも100年時代に突入するという内容の記事がよく出ますが、この本は過去の統計結果から、100年時代に突入する可能性が高いことを示唆しています。そうなると様々な問題が指摘されると思います。お金や勤労や結婚生活などがその最たるものであると予想されます。

 長寿化に伴う大きな問題のなかでも、お金を例に挙げて深堀していくと100歳まで生きた場合65歳で勤労を終えようと思うと、35年の引退期間が存在します。老後の生活資金を最終所得の50%毎年必要と計算すると、公的年金10%を加味して考えても、就労期間44年間ずっと将来の生活資金として年25%貯蓄しなければならなくなります。所得が400万円のひとは年に毎年100万円貯金しなければならなくなる計算です。実際にできる数字では到底ないように感じます。独身者ならともかく、持ち家で子持ちの家庭はかなり難しいと思うことでしょう。貯蓄金額を無理のない年10%にしようと思うと、85歳まで働かなくてはならなくなります。気が滅入る未来図に思えてしまいますね。

 今後の雇用環境の変化も、生き方を次第に難しくすると考えられます。数十年のもすれば新しいテクノロジーが登場し、成長する産業と衰退する産業がはっきりしてきます。新しい職種が生まれると同時に、既存の機種に取って変わる可能性もあります。長い勤労期間の間に劣化するのは知識とスキルだけではありません。大切な人たちとの関係も脅かされる恐れがあります。ずっと同じパートナーと過ごしていくにはより強固につながって、柔軟に相手の意見に合わせないといけないと思われます。80歳を超すまで休憩もなく、柔軟な働き方もせず、ノンストップで働き続けられる人などいるのでしょうか?

2019年5月30日木曜日

FACTFULNESSを読んで


 先日、ファクトフルネスという本を読んだのですが、サピエンス全史やホモゼウスと同じような衝撃を受けた本でした。簡単に内容を説明すると、正確なデータや事実に基づいた現実から未来を見据えるという考え方で、作者はスウェーデンの医師ハンス・ロスリングです。賢い人ほど世の中を見間違えているというセンセーショナルなキャッチコピーが興味をひいたのですが、13の質問に正確に答えられた知識人はほとんどおらず、現在の知識人がいかに現実が見えていないかを解いています。また、詳しく記事を書いていきたいと思います。

2019年4月12日金曜日

核兵器がもたらしたもの


核の驚異は戦争を激減させた

 核兵器を持ち始めた20世紀の冷戦最中には、核兵器の打ち合いによる人類滅亡のシナリオを予想する社会学者などがよくメディアなどに呼び掛けて話題となりました。

 しかし、21世紀の今になってもそのような社会がくるようすはありません。むしろ、戦争による死者の割合は年々減少しており、現在が過去最低水準です。なぜなら、核兵器こそが何よりも戦争の抑止力になってきたからです。相手の強力な一撃を警戒し、攻撃できなくなったため、各国は外交手段から戦争という引き出しを無くしました。攻撃は最大の防御とは言いますが、核兵器の場合、圧倒的な破壊力が開戦への抑止力になりました。これにより、核開発以後は大きな戦争は起きなかったと言えます。これから先はもしかしたら核戦争はあるかもしれないですが、現在のグローバル化が進んだ世界において、それはかなりの低確率ではないでしょうか?ある意味で核兵器は戦争をなくし、平和に貢献したととれますし、人類の進歩に一躍かったと言えるでしょう。そして、それは世論が核兵器を使うことを避難し続けたからなし得たことではないでしょうか?



 これから先、科学技術や生物化学が発達し、AIやロボット、バイオテクノロジーなど新たな能力を手にいれたとき、人類は誤った使い方をしないように核兵器の時のように社会学者や哲学者は警鐘を鳴らさなければいけないでしょう。なぜなら、間違った方向に行く可能性も十分に考えられるからです。また、新たな能力を使うことによって何が起きるか想定し、よく吟味しながら使わないと、大きな過ちを犯すことになるということを 常に考えなければならないと思います。核兵器のときのように。

2019年4月7日日曜日

鬼束ちひろ 眩暈を聞いて

 最近鬼束ちひろにハマっているのか、よく聞くのですが、眩暈という曲が人の持っている自分への批判や猜疑心をうまく言葉にしているなと感動しました。

https://www.google.com/search?q=鬼束ちひろ+眩暈&oq=鬼束ちひろ+眩暈&aqs=chrome..69i57j69i60j69i61j0l3.5233j0j7&client=ms-android-sharp&sourceid=chrome-mobile&ie=UTF-8#sbfbu=1&pi=鬼束ちひろ%20眩暈

 「嘘みたいに私を強く強く信じているから」は愛してくれている人がこんな自分を信じてくれているという相手への感謝と同時に強く強くという言葉が自分はそんなに愛されるべき人間ではないという自分に対する猜疑心を強調しています。

 また、「自分を振り切る自分をどこまで走らせていればいい?」弱い自分を振り切って前に進もうとするけれど、すぐにまた弱い自分が追いかけてきて、自分を取り込もうとする心理をいっているように感じました。そんな葛藤を続けなければいけない、弱い自分の宿命を嘆いているように思います。

 そして、「あなたに聞かせられるような綺麗な言葉が見当たらない。卑屈になって叫ぶ私を縛り付ける前に優しくなんかしないで。」という歌詞で自分はとても人に愛されるような人ではなく、本当の弱い自分を克服する前に優しくされては弱いままで終わってしまい、それが露呈すれば嫌われてしまうのではないかという自分への猜疑心が伺い知れると思います。この歌詞の自分は自分を愛してくれている人を凄く愛しているから、ここまで考えられるのでしょう。それを凄く上手に表現した歌詞だなとしみじみ思いました。

2019年3月9日土曜日

人間には唯一無二の『自己』は存在するのか?


人間には唯一無二の自己は存在しない


 先日読んだホモデウスにもあった内容ですが、人間には本当の自分という存在つまり、唯一無二の『自己』は存在するのか?という問いに対して、ハラリ氏は以下のように述べています。「人間に本当の自己というものがあるということを現在の科学で証明することは難しい。むしろ、現在の科学は人間には自己が存在しないことを証明している。」といっています。 数々の実際の実験結果からそうのべているのですが、もし本当にそうであれば、現在の主要な考えである、個人主義が揺らぐことになると思います。


 個人主義の考え方は、人間には集団心理や他人には不可侵な『自己』が確かに存在し、それは何人たりとも侵すことのできない個人の核なる存在であるという考えだと思います。しかし、『自己』がないとなると私たち人間と他の哺乳動物、さらにAIとの違いは何でしょうか?哺乳動物は人よりも感情を素直に表し、AIはアルゴリズムしだいでは感情を学ぶこともできるし、計算能力や記憶容量は人を確実に凌ぎます。人間と同じように感情をもつ哺乳動物と人間より確実に進歩の可能性があるAIが存在する中で、私たち人間は世の中に何らかの可能性を生み出すことは出来るのでしょうか?


 最近の科学の進歩に伴い、人間の行く末が不透明になっているのかもしれません。我々人間はAIから仕事を奪われて、無用者階級と有用者階級に分かれ格差が拡大してしまう可能性も大いにあります。哺乳動物との違いを考え直し、AIにはない人間の特性を見いださなければ人間の居場所はどんどんなくなってしまうのではないでしょうか?