2018年5月8日火曜日

孔子伝 外伝壱

 孔丘が季孫斯の家庭教師となってから、孔丘は魯の長官となり、政治の舞台にでて活躍するのですが、孔丘の功績は必ずしも彼一人で出来るものではありませんでした。彼の回りにいた優秀な弟子たちが、支えてこその功績だったのです。今回はそんな優秀な弟子たちを紹介したいと思います。

孔子の右腕で外交と内政の雄

  子貢(しこう)
 はじめ商人だったが、商売をしていても心が安らがないため、仁の道を志す孔丘の門弟になる。弟子入りしたのは遅めだったが、賢く、弁舌が得意なため、斉との交渉など外交ごとにはよく起用され、成果をだした。特筆すべき功績はある日、斉の商人が魯の国の米を買い占め、自分の国の米を高値で売ろうとしていたときに子貢は衛の武器と馬車を大量に仕入れる代わりに、必ず返すからと衛の米を大量に借りて、通常よりも高いが斉よりも安い値で魯の国で売り、斉の米を一切魯の国で売らせなかった。子貢はこのときに大量に儲けた。米を大量に持っており、大損をしそうだった斉の国は更に安い値で魯の国で米を売らざるを得ず、それを子貢が買い占めた。それによりはじめに儲けた金が余った。持っている米を衛に返し、余った金で約束通りに衛から武器と馬車を買ったという大胆かつ論理的な思考を持っているといえる。孔丘いわく、「利口この上なく、どんな国の宰相も勤められるが、宰相どまりである。賢すぎるため利を求めがちで大道を得ることは難しい」と評される。孔子亡き後はかの有名な孔子の言葉を編纂し『論語』をまとめ、孔子の教えを自身の弟子たちに説いている。

孔子の左腕 戦闘と練兵の雄

  子路(しろ)
 孔子に幼少期から弟子入りしており、孔子に最も信頼された人物。孔子が長官になってからは、一軍の大将を任せられ、数々の戦場を駆け回り戦功を立てた。中でも、陽虎討伐戦では素人同然の兵3千を短期間で精鋭に育て上げ、その兵を率いて陽虎の軍3万を打ち破る功をたてた。また、兵と心を交わすことが得意で、敵対していた少正卯の元自軍の兵を鶴の一声で自分のものにしてしまうほど。孔子いわく「質実剛健で、困難なことにも立ち向かう強さを持っているが、融通が効かず、まっすぐすぎる性格が災いするだろう」と評される。孔子の晩年の諸国放浪の旅について行き、衛国にとどまり兵の訓練や戦の指揮をとっていたが衛国の内乱に巻き込まれ、部外者であるが逃げることなく兵をまとめようとするも、反乱軍に重囲され、憤死する。多数の傷を負いながら孤軍奮闘する中、兜が自分の頭から落ちたのを見て「君子は冠を正しくするものだ」と言い、再び結び直してから絶命したという。

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