2019年4月12日金曜日

核兵器がもたらしたもの


核の驚異は戦争を激減させた

 核兵器を持ち始めた20世紀の冷戦最中には、核兵器の打ち合いによる人類滅亡のシナリオを予想する社会学者などがよくメディアなどに呼び掛けて話題となりました。

 しかし、21世紀の今になってもそのような社会がくるようすはありません。むしろ、戦争による死者の割合は年々減少しており、現在が過去最低水準です。なぜなら、核兵器こそが何よりも戦争の抑止力になってきたからです。相手の強力な一撃を警戒し、攻撃できなくなったため、各国は外交手段から戦争という引き出しを無くしました。攻撃は最大の防御とは言いますが、核兵器の場合、圧倒的な破壊力が開戦への抑止力になりました。これにより、核開発以後は大きな戦争は起きなかったと言えます。これから先はもしかしたら核戦争はあるかもしれないですが、現在のグローバル化が進んだ世界において、それはかなりの低確率ではないでしょうか?ある意味で核兵器は戦争をなくし、平和に貢献したととれますし、人類の進歩に一躍かったと言えるでしょう。そして、それは世論が核兵器を使うことを避難し続けたからなし得たことではないでしょうか?



 これから先、科学技術や生物化学が発達し、AIやロボット、バイオテクノロジーなど新たな能力を手にいれたとき、人類は誤った使い方をしないように核兵器の時のように社会学者や哲学者は警鐘を鳴らさなければいけないでしょう。なぜなら、間違った方向に行く可能性も十分に考えられるからです。また、新たな能力を使うことによって何が起きるか想定し、よく吟味しながら使わないと、大きな過ちを犯すことになるということを 常に考えなければならないと思います。核兵器のときのように。

2019年4月7日日曜日

鬼束ちひろ 眩暈を聞いて

 最近鬼束ちひろにハマっているのか、よく聞くのですが、眩暈という曲が人の持っている自分への批判や猜疑心をうまく言葉にしているなと感動しました。

https://www.google.com/search?q=鬼束ちひろ+眩暈&oq=鬼束ちひろ+眩暈&aqs=chrome..69i57j69i60j69i61j0l3.5233j0j7&client=ms-android-sharp&sourceid=chrome-mobile&ie=UTF-8#sbfbu=1&pi=鬼束ちひろ%20眩暈

 「嘘みたいに私を強く強く信じているから」は愛してくれている人がこんな自分を信じてくれているという相手への感謝と同時に強く強くという言葉が自分はそんなに愛されるべき人間ではないという自分に対する猜疑心を強調しています。

 また、「自分を振り切る自分をどこまで走らせていればいい?」弱い自分を振り切って前に進もうとするけれど、すぐにまた弱い自分が追いかけてきて、自分を取り込もうとする心理をいっているように感じました。そんな葛藤を続けなければいけない、弱い自分の宿命を嘆いているように思います。

 そして、「あなたに聞かせられるような綺麗な言葉が見当たらない。卑屈になって叫ぶ私を縛り付ける前に優しくなんかしないで。」という歌詞で自分はとても人に愛されるような人ではなく、本当の弱い自分を克服する前に優しくされては弱いままで終わってしまい、それが露呈すれば嫌われてしまうのではないかという自分への猜疑心が伺い知れると思います。この歌詞の自分は自分を愛してくれている人を凄く愛しているから、ここまで考えられるのでしょう。それを凄く上手に表現した歌詞だなとしみじみ思いました。