2019年3月9日土曜日

人間には唯一無二の『自己』は存在するのか?


人間には唯一無二の自己は存在しない


 先日読んだホモデウスにもあった内容ですが、人間には本当の自分という存在つまり、唯一無二の『自己』は存在するのか?という問いに対して、ハラリ氏は以下のように述べています。「人間に本当の自己というものがあるということを現在の科学で証明することは難しい。むしろ、現在の科学は人間には自己が存在しないことを証明している。」といっています。 数々の実際の実験結果からそうのべているのですが、もし本当にそうであれば、現在の主要な考えである、個人主義が揺らぐことになると思います。


 個人主義の考え方は、人間には集団心理や他人には不可侵な『自己』が確かに存在し、それは何人たりとも侵すことのできない個人の核なる存在であるという考えだと思います。しかし、『自己』がないとなると私たち人間と他の哺乳動物、さらにAIとの違いは何でしょうか?哺乳動物は人よりも感情を素直に表し、AIはアルゴリズムしだいでは感情を学ぶこともできるし、計算能力や記憶容量は人を確実に凌ぎます。人間と同じように感情をもつ哺乳動物と人間より確実に進歩の可能性があるAIが存在する中で、私たち人間は世の中に何らかの可能性を生み出すことは出来るのでしょうか?


 最近の科学の進歩に伴い、人間の行く末が不透明になっているのかもしれません。我々人間はAIから仕事を奪われて、無用者階級と有用者階級に分かれ格差が拡大してしまう可能性も大いにあります。哺乳動物との違いを考え直し、AIにはない人間の特性を見いださなければ人間の居場所はどんどんなくなってしまうのではないでしょうか?

2019年3月6日水曜日

鬼束ちひろ『月光』の歌詞について

 今は何をしているかわからない人ですが、2000年に鬼束ちひろがリリースした『月光』の歌詞の奥深さには感動しました。

 https://www.google.com/search?q=鬼束ちひろ月光&oq=鬼束ちひろ&aqs=chrome.1.69i57j0l3.3064j1j7&client=ms-android-sharp&sourceid=chrome-mobile&ie=UTF-8

 この歌詞にある、『GOD'S CHILD』は単に表面的なかっこよさや装飾的な意味合いではなく、次に続く『この腐敗した世界に堕とされた』という内容から、希望的な意味で言っているのではないといことがわかります。そして、神学的には、神の子は人間のために苦痛を与えられ殺された存在という意味があります。その事から、この『GOD'S CHILD』は計り知れない絶望を背負わされた存在ということがわかります。しかし、『最後になど手を伸ばさないで』や『こんなもののために生まれたんじゃない』は絶望的な現実に対する激しい対抗心を感じさせてくれます。そして『あなたなら救いだして』という歌詞は、この現実に対抗しうるものがきっとこの世の中に存在するということを言いたいのではないかと僕は読み取りました。歌詞の読み取りかたは人それぞれです。みなさんならどのように読み取るでしょうか?

 最後に、この歌詞をはじめ聞いたとき僕は学生でした。その頃は、なんかすごいインパクトのある歌詞だなという印象で終わってたのですが、30を過ぎてみると中々深い歌詞だったんだとなと感嘆しました。鬼束ちひろはこの当時まだ20才で作詞作曲をしています。つまり、この歌詞の着想やモチーフになる経験などは10代後半くらいである程度あったことになると思われます。とんだ天才的な感性の持ち主であったのだなと思うのと同時にどんな10代を送ってきたんだ。。。と思わされます。

2019年3月3日日曜日

最近ハマったゲームについて

 最近ゲームをしているのですが、一番やっているのはガンダムバトルオペレーション2というオンライン対戦ゲームです。

ガンダム好きにはたまらないゲーム

 新機体も2週間に1回くらい出てきますし、かなりマニアックな機体とかもでます。ジュアッグやゾゴックやトリスリッターやマドロックなど、新旧入り乱れて一年戦争の機体が数多く出てきて何を使おうか迷うくらいです。

 また、基本プレイは無料で、ある条件をクリアするともらえるポイントをためるとガチャが出来て新機体をもらえるチャンスがあるなど、非課金でも十分楽しめる内容になっています。

 まあ、少し最近は熱が覚めてきて違うゲームにいくかどうか悩んでるとこですが、ここまでのところ、オンラインでは一番楽しめたゲームです。