2019年4月7日日曜日

鬼束ちひろ 眩暈を聞いて

 最近鬼束ちひろにハマっているのか、よく聞くのですが、眩暈という曲が人の持っている自分への批判や猜疑心をうまく言葉にしているなと感動しました。

https://www.google.com/search?q=鬼束ちひろ+眩暈&oq=鬼束ちひろ+眩暈&aqs=chrome..69i57j69i60j69i61j0l3.5233j0j7&client=ms-android-sharp&sourceid=chrome-mobile&ie=UTF-8#sbfbu=1&pi=鬼束ちひろ%20眩暈

 「嘘みたいに私を強く強く信じているから」は愛してくれている人がこんな自分を信じてくれているという相手への感謝と同時に強く強くという言葉が自分はそんなに愛されるべき人間ではないという自分に対する猜疑心を強調しています。

 また、「自分を振り切る自分をどこまで走らせていればいい?」弱い自分を振り切って前に進もうとするけれど、すぐにまた弱い自分が追いかけてきて、自分を取り込もうとする心理をいっているように感じました。そんな葛藤を続けなければいけない、弱い自分の宿命を嘆いているように思います。

 そして、「あなたに聞かせられるような綺麗な言葉が見当たらない。卑屈になって叫ぶ私を縛り付ける前に優しくなんかしないで。」という歌詞で自分はとても人に愛されるような人ではなく、本当の弱い自分を克服する前に優しくされては弱いままで終わってしまい、それが露呈すれば嫌われてしまうのではないかという自分への猜疑心が伺い知れると思います。この歌詞の自分は自分を愛してくれている人を凄く愛しているから、ここまで考えられるのでしょう。それを凄く上手に表現した歌詞だなとしみじみ思いました。

2019年3月9日土曜日

人間には唯一無二の『自己』は存在するのか?


人間には唯一無二の自己は存在しない


 先日読んだホモデウスにもあった内容ですが、人間には本当の自分という存在つまり、唯一無二の『自己』は存在するのか?という問いに対して、ハラリ氏は以下のように述べています。「人間に本当の自己というものがあるということを現在の科学で証明することは難しい。むしろ、現在の科学は人間には自己が存在しないことを証明している。」といっています。 数々の実際の実験結果からそうのべているのですが、もし本当にそうであれば、現在の主要な考えである、個人主義が揺らぐことになると思います。


 個人主義の考え方は、人間には集団心理や他人には不可侵な『自己』が確かに存在し、それは何人たりとも侵すことのできない個人の核なる存在であるという考えだと思います。しかし、『自己』がないとなると私たち人間と他の哺乳動物、さらにAIとの違いは何でしょうか?哺乳動物は人よりも感情を素直に表し、AIはアルゴリズムしだいでは感情を学ぶこともできるし、計算能力や記憶容量は人を確実に凌ぎます。人間と同じように感情をもつ哺乳動物と人間より確実に進歩の可能性があるAIが存在する中で、私たち人間は世の中に何らかの可能性を生み出すことは出来るのでしょうか?


 最近の科学の進歩に伴い、人間の行く末が不透明になっているのかもしれません。我々人間はAIから仕事を奪われて、無用者階級と有用者階級に分かれ格差が拡大してしまう可能性も大いにあります。哺乳動物との違いを考え直し、AIにはない人間の特性を見いださなければ人間の居場所はどんどんなくなってしまうのではないでしょうか?

2019年3月6日水曜日

鬼束ちひろ『月光』の歌詞について

 今は何をしているかわからない人ですが、2000年に鬼束ちひろがリリースした『月光』の歌詞の奥深さには感動しました。

 https://www.google.com/search?q=鬼束ちひろ月光&oq=鬼束ちひろ&aqs=chrome.1.69i57j0l3.3064j1j7&client=ms-android-sharp&sourceid=chrome-mobile&ie=UTF-8

 この歌詞にある、『GOD'S CHILD』は単に表面的なかっこよさや装飾的な意味合いではなく、次に続く『この腐敗した世界に堕とされた』という内容から、希望的な意味で言っているのではないといことがわかります。そして、神学的には、神の子は人間のために苦痛を与えられ殺された存在という意味があります。その事から、この『GOD'S CHILD』は計り知れない絶望を背負わされた存在ということがわかります。しかし、『最後になど手を伸ばさないで』や『こんなもののために生まれたんじゃない』は絶望的な現実に対する激しい対抗心を感じさせてくれます。そして『あなたなら救いだして』という歌詞は、この現実に対抗しうるものがきっとこの世の中に存在するということを言いたいのではないかと僕は読み取りました。歌詞の読み取りかたは人それぞれです。みなさんならどのように読み取るでしょうか?

 最後に、この歌詞をはじめ聞いたとき僕は学生でした。その頃は、なんかすごいインパクトのある歌詞だなという印象で終わってたのですが、30を過ぎてみると中々深い歌詞だったんだとなと感嘆しました。鬼束ちひろはこの当時まだ20才で作詞作曲をしています。つまり、この歌詞の着想やモチーフになる経験などは10代後半くらいである程度あったことになると思われます。とんだ天才的な感性の持ち主であったのだなと思うのと同時にどんな10代を送ってきたんだ。。。と思わされます。

2019年3月3日日曜日

最近ハマったゲームについて

 最近ゲームをしているのですが、一番やっているのはガンダムバトルオペレーション2というオンライン対戦ゲームです。

ガンダム好きにはたまらないゲーム

 新機体も2週間に1回くらい出てきますし、かなりマニアックな機体とかもでます。ジュアッグやゾゴックやトリスリッターやマドロックなど、新旧入り乱れて一年戦争の機体が数多く出てきて何を使おうか迷うくらいです。

 また、基本プレイは無料で、ある条件をクリアするともらえるポイントをためるとガチャが出来て新機体をもらえるチャンスがあるなど、非課金でも十分楽しめる内容になっています。

 まあ、少し最近は熱が覚めてきて違うゲームにいくかどうか悩んでるとこですが、ここまでのところ、オンラインでは一番楽しめたゲームです。

2019年2月27日水曜日

資本主義と社会主義に変わる第3の主義について


資本主義に変わるものが必要では

 前から思っていたことでもあり、サピエンス全史などを読んで更に思うようになったのですが、資本主義には限界があるのではないかと思います。というのも、資本主義でどれだけの人が幸せになっているのかと思うのです。先日ニュースにもなっているゴーン氏は、脱税など派手にやっていたようですが、資本主義の世の中を謳歌していましたが、結局は犯罪者になり、社会的立場を失っています。ホリエモンもその部類に入ると思います。成功者でさえ、奈落の底に落とされる危険性が隣り合わせにある資本主義は、大多数の人を幸せに出来るのでしょうか?
 また、資本主義は常に成長が求められます。成長が止まれば、数年のうちに会社は傾くかもしれません。5年も横ばいなら確実にライバル他社に抜かれているでしょう。常に去年よりも上の水準を目指し続けなければ、成り立たない資本主義経済に安らぎのときは来ないのではないでしょうか。近年、新自由主義という市場の正義を絶対とする考えもありますが、GAFAの資産合計がドイツの国家予算を超えた現在において、企業の暴走をとめる力が相対的に弱まってきていることも否めません。労働組合は国家ありきのものです。国の力を企業が越えたら、誰が労働者を守るのでしょうか?

 かといって、社会主義が資本主義には勝てないことは歴史が示してきており、不可逆の世の中で、社会主義を提唱するほど愚かではありません。
 そこで、資本主義に変わる第三の新しい主義を考えなければならないのではないかと思うようになりました。資本主義には限界があるということを人類は感じるべき時に来ているのではないでしょうか?とはいえ、自分が今何かを思いついているわけではないのですが。。。



 18世紀から続いてきた資本主義経済に終止符をうつのもてなのかもしれません。と、資本主義真っ只中の業界で働く、30代工場勤務が思う今日この頃です。

2018年10月7日日曜日

サピエンス全史を読んで 後編

 今回はサピエンス全史の下巻を読んだ感想を記述していきます。

文明は人類は幸福にしたのか?

 『科学革命』
 近代の文化はまだ知られていない重要な事柄が多数あることを認め、そのような無知の自認が科学の発見は私たちに新しい力を、与えうるという考え方と結び付いたとき、真の進化は可能なのではないかと人々は思い始めた。
 科学者は帝国主義の事業に実用的な知識やイデオロギー面での正当性、テクノロジー上の道具を与えてきた。こういった貢献がなければ、ヨーロッパ人が世界を征服できたかどうかははなはだ疑問だ。征服者は情報と保護を与え、あらゆる奇妙なプロジェクトや、魅力的なプロジェクトを支援し、地球の隅々まで科学的な考え方を広めて科学者に報いた。
 帝国を建設するにも科学を推進するにも絶対必要なものがお金だ。経済が近代史において果たした真の役割を把握するのは容易ではない。お金によって数々の国家が建設され、滅ぼされた。新たな地平が開け、無数の人々が奴隷と化した。歴史の大半を通して、経済の規模はほぼ同じままだった。確かに世界全体の生産量は増えたものの、大部分はが人口の増加と新たな土地の開拓によるもので、一人当りの生産量はほとんど変化しなかった。ところが近代にはいると状況は一変する。西暦 1500年の世界全体の財とサービスの総生産量は、およそ2500億ドル相当だったが、今では60兆ドル当たりで推移している。さらに1500年には一人当りの年間生産量が、550ドルだったが、今日では老若男女を、すべて含めて平均8800ドルに上る。
 じつは産業革命は、エネルギー変換における革命だった。この革命は、私たちが使えるエネルギーに限界がないことを、再三立証してきた。あるいは、もっと正確にいうならば、唯一の限界は私たちの無知によって定められることを、立証してきた。私たちは数十年ごとに新しいエネルギー源を発見するので、私たちが使えるエネルギー総量は増える一方なのだ。
 ほとんどの人が自分がいかに平和な時代に生きているかを、実感していない。2002年5700 万の死亡者のうち戦争での死亡者17万人。暴力犯罪の死亡者56万人でこれに対して自殺者は87万人。9.11テロのあった翌年のテロリズムが盛んにあった頃でもこの数値である。権力が分散されていた中世ヨーロッパでは人口10万人当り毎年20~40人が殺害されていた。現代の中央集権化されたヨーロッパでは、人口10万人に辺り1人だ。王国や帝国が力を増すにつれて暴力の水準は低下した。
 今、科学は脳をコンピューターと繋ごうとしたり、コンピューターの内部に心を生み出そうとしたりしている。完全な非有機的な存在を作り出そうとしている。なぜそんなことをするのかと科学者に聞いてみるといい。すると科学者は十中八九人命を救うためだというだろう。それに異論を挟める人はいない。その社会が実現したとき、未来を想像することを苦手とする人類はうまく立ち回れるだろうか。唯一私たちに試みられるのは、科学が進もうとしている方向に影響を与えることだ。ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は私たちは何になりたいかではなく私たちは何を望みたいかかもしれない。

2018年8月25日土曜日

サピエンス全史を読んで 前編

 先日、サピエンス全史を読んだのですが、非常におもしろい本だったので、自分の考えを投稿しようと考えました。

なぜ、ホモサピエンスだけが繁栄したのか?

 「人類は特別な種ではない」
 現世人類ホモサピエンスは、食物連鎖の最上段にいる特別な種だという考え方が、一般的に語られているが、現世人類はヒト科であり、生物学的にはチンパンジーやゴリラははもっとも近い縁者であり、3万年前まで地球上に存在したネアンデルタール人や人類で最長の200万年も種を存続させたホモエレクトスと同じ属の生物である。ホモサピエンスはこの後1000年も生きるかわからない。

  「認知革命」
 ホモサピエンスは生物学上は他の動物と変わることのない、とるに足らない存在であるのだが、認知革命が他の種とは違う存在にさせた。それは、集団で共通の妄想を信じることができたこと。複雑な言語で大量の情報を伝える能力と、部族の聖霊など現実には存在しないものを伝え信じることで、圧倒的大多数の人達を共通の目的に向けてコントロールできたことだ。チンパンジーはヒトよりも強い握力があり、直接戦った場合チンパンジーの方が強い。しかし、チンパンジーは50頭までしかアルファオスの顔が利かないため、徒党が組めない。それ以上になると仲間割れが起こり、違う群れが出来たりする。また、チンパンジーは違う群れ通しで食べ物やメスの取り合い等で殺しあうこともある。それに対してホモサピエンスは1000人でも2000人でも、混乱することなく徒党を組める。認知革命が人類を革新させた。

  「農業革命の誤算」
 一万年ほど前にすべてが一変した。サピエンスが、毎日小麦の世話に没頭し始めた。より多くの作物や穀物、肉が手入るだろうと考えてのことだ。しかし、実際はそうはうまくいかなかった。サピエンスの体は石を取り除いたり、水桶で水を運んだり、雑草を抜いたりすることに向いておらず、古代の骨格を調べると椎間板ヘルニアや関節炎といった実に多くの疾患がもたらされたことがわかる。サピエンスの体はりんごの木に登ったり、ガゼルを追いかけたりするように適応していた。また、小麦は経済的安心を与えてくれることはなかった。雨が十分に降らなかったり、イナゴの大群が来襲したりしたら、必要なカロリーを摂取できずに何千から何百万という単位で命を落とした。彼らはそれでも一生懸命働いた。一生懸命働けば前よりいい暮らしができると信じていた。しかし、彼らは子供の数が増えることを予想できなかったし、自分達の畑を荒らされないように見張りをたてなくてはいけないことも予想できなかった。
 もうひとつ農耕を推し進めた理由もある。ギョベクリ・テペの構造物は紀元前9500年頃まで遡るが、そのわずか30キロのところに栽培化された小麦の起源をたどることができる。神殿が建設されてから、村落がその回りに形成され、農耕をして生活する必要があった。

  「神話による社会の拡大」
 一世紀になると、狩猟採集民は100万から200万しか残っておらず、それを遥かに上回る2億5000万もの農耕民が世界各地で暮らしていた。紀元前1776年のバビロンは世界最大の都市だった。バビロンの王ハンムラビの名を冠したハンムラビ法典はバビロニア帝国全土における画一的な法制度の基盤を担い、公正な王とはどう振る舞うのかを教えることを目的とした。現在においては、民主主義とロマン主義と消費主義がそれに変わる。そのような共同主観主義というべくものが、人類の増加と繁栄に貢献した。また、共同主観的な思考から脱するには、それよりさらに大きな共同主観的思考が必要とされ、逃れることは困難である。

  「最強の征服者、貨幣」
 狩猟採集民は物々交換を行っていたが、それも限界があった。そこで貨幣が産み出されたのだが、しかし、貨幣の最初の形態が産み出されたとき、人々はこの種の信頼を持っていなかったので本質的な本当の価値を持っているものを貨幣とせざるをなかった。歴史上知られている貨幣としてはシュメール人の大麦貨幣だ。これはただの大麦に過ぎないので、日用品ではなく貨幣として使うように人を説得するのは楽ではない。人は大麦を食べることができるが、保存も運搬も難しいからだ。そのうち、持ち運びに便利ということで、銀の貨幣ができ、現在のような紙幣も出来上がった。