2019年9月3日火曜日

孔子の弟子 『子路』

孔子の弟子3人目は孔子に幼少期から弟子入りしており、孔子に最も信頼された子路です。孔子が長官になってからは、一軍の大将を任せられ、数々の戦場を駆け回り戦功を立てました。中でも、陽虎討伐戦では素人同然の兵3千を短期間で精鋭に育て上げ、その兵を率いて陽虎の軍3万を打ち破る功をたてました。また、兵と心を交わすことが得意で、敵対していた少正卯の元自軍の兵を鶴の一声で自分のものにしてしまうほどです。孔子いわく「質実剛健で、困難なことにも立ち向かう強さを持っているが、融通が効かず、まっすぐすぎる性格が災いするだろう」と評されます。孔子の晩年の諸国放浪の旅について行き、衛国にとどまり兵の訓練や戦の指揮をとっていたが衛国の内乱に巻き込まれ、部外者であるが逃げることなく兵をまとめようとするも、反乱軍に重囲され、憤死します。多数の傷を負いながら孤軍奮闘する中、兜が自分の頭から落ちたのを見て「君子は冠を正しくするものだ」と言い、再び結び直してから絶命したといいます。孔子の弟子のなかでも、随一の武断肌の人物といえるでしょう。 孔子に弟子入りした子路な真っ直ぐで聞かん坊な性格であったと書かれていることが多く、度々回りの弟子たちと衝突したり、時には孔子とも言い争いをすることがあったようです。そんな子路を叱りつつも孔子は彼を可愛がっていたと言われています。

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